Andante / Crescendo 「Andante」3.Nocturne


 気付いた意味に受けた衝撃。
 それが消えないままに客室を出たアスベルは、相変わらず賑やかな広間で集まって談笑している仲間たちを見つけた。
「あ、おーいアスベル、こっちこっち!」
 大きく手を振って呼ぶパスカルに苦笑して歩み寄ると、ジュースに口を付けていたソフィが彼を見上げて小首を傾げる。
「アスベル、どうかした?」
「え? えーと、あ、そ、そうだ。ソフィ、母さんが了承してくれた。手続きはまだだけど、これでソフィは俺たちの妹だ」
「妹……! アスベルとヒューバートの!」
 嬉しそうに笑顔を浮かべたソフィの言葉に、ヒューバートが瞳を瞬きながら言った。
「え? ぼ、ぼくもですか?」
「当たり前だろ。お前は俺の弟なんだから」
「え、あ……。そ、それもそうですね。まあ、出会った時には年上だった彼女が、まさか妹になるとは思いもしませんでしたが」
「ヒューバートは…………、嫌?」
「そんなわけないじゃないですか」
 少し悲しげに問い掛けた少女に、問い掛けられた青年は慌てて答える。
「いいなぁ、弟くんは〜。あたしもソフィのお姉ちゃんになりたーい!」
「…………パスカルはお姉ちゃんじゃなかったの?」
 お姉ちゃんで、とソフィはパスカルを見て言って、マリクを見ておじいちゃん、ヒューバートを見てお兄ちゃん、そしてアスベルへ視線を合わせてお父さん、と続けた。
「ソフィ〜!!」
「お、おじいちゃん……」
 感激してソフィに抱きつくパスカルと、僅かに口元を引きつらせてパスカルの刷り込みのせいでと呟くマリクの様子に、アスベルとヒューバートは顔を見合わせて苦笑する。
「そう言えば……、シェリアは?」
 一人だけ居ない幼馴染の行方を尋ねた青年に、ソフィを抱き締めてその感触に悦っていたパスカルが少女は離さないままその問いに答えた。
「ん〜、リチャードの様子を見て戻ってきた後、少し外の空気を吸って来るって出てったよ?」
「うん。すぐに戻って来るって行ってた」
 パスカルの答えを肯定したソフィだったが、でもと小首を傾げる。
「戻って来ないね、シェリア」
「そだねー。二十分ちょいは経ってるかな?」
「そうなのか?」
 そしてチラリと玄関扉の方へと視線を向けた様子に、ヒューバートが眼鏡を押し上げながら何気なく口を開いた。
「街の中は外に比べて安全とは言え、外の空気を吸うだけには少し時間が経っていますからね。気になるようでしたら探して来たらどうです、兄さん」
「べ、別に気になんて……」
 そう言いつつも、無意識の行動なのだろう、外を気にするアスベルにマリクが腕組みをしたまま言う。
「先ほどシェリアからそう時を置かずにラントを発つつもりだと聞いた。故郷を離れるのだ、もしかしたら色々と思う所があって戻って来ないのかもしれんな」
「…………」
「だが、お前はこのままだと笑って見送れなさそうだ」
「教官……」
「話をして来い、アスベル。このままではお前は後悔することになるぞ。それに、既に心に決めているとは言え、シェリアも憂いなく旅立つことが出来ないだろう」
 それで良いのか。
 静かに問われたアスベルは、僅かに黙考した後ゆるりと首を横に振った。
「行って来ます」
「ああ。何なら、戻って来ずとも構わんぞ」
「そうは行きませんよ。いつ王都から返事が来るとも知れないんですから。それに同じ街の中に家があるのに戻らないなんておかしくないですか?」
 若干の含みを持たせたマリクの問いに、ごく普通に受け答えた青年の言葉に実の弟は小さく溜息を零し、ソフィはパスカルに抱かれたまま小首を傾げ、その少女を抱き締めるパスカルはそのままの体勢で吹き出す。
「…………ようやく前進の兆しが見えたと思ったのだが、オレの推測誤りか?」
「教官、何のことです?」
 不思議そうに首を傾げる青年に、彼の倍以上を生きる男は疲れたように言った。
「いずれ分かる。いいから行って来い」
「は、はい」
 追い払うように促した男に頷き、心持ち足早に出て行ったアスベル。その様子を見送っていたソフィは、相変わらずパスカルに抱き締められたまま尋ねる。
「教官、シェリアはどうして行っちゃうのかな」
「夢だというのもあるのだろう。だが、一度離れて考えてみたいという思いもあるのだろうな」
「……好きなのに、離れるの?」
 分からない、と言った表情になる少女をマリクは小さく苦笑しながら撫でた。
「男は基本的に不器用な生き物だからな。置いていかれて初めて気付くこともあるんだ」
「何か実感篭ってるねぇ、教官」
「年の功というやつでしょう」
「そっか〜、おじいちゃんだもんね!」
「おじいちゃんはやめろ……」
「教官は、嫌?」
「ソフィの家族ということが嫌なわけでは無くてだな、…………そこの二人、笑っていないで助けろ。特にパスカル、お前の刷り込みが原因なんだぞ!」
「え〜、でもパパより年上なんだし、そしたらやっぱりおじいちゃんでしょ」
「待て! それを言うならお前は両親よりも年上ということになるでは無いか!」
「そだっけ?」
「…………ヒューバート、おじいちゃんとお姉ちゃん、仲良いね」
「ソフィ、良いから放っておきましょう。フレデリックに言っておきましたから、そろそろあなたの好きなカニタマが出来るはずですよ」
「カニタマ……! うん、行こう」


 広間に残してきた仲間たちが賑やかに話をしていることも知らず、邸を出たアスベルはさっと周囲に視線を走らせた。
(居ない……)
 庭に出てみたものの、求めていた姿は無い。見渡しても目に入るのは、淡く光るW石と炎の光と柔らかに照らされた庭園だけだ。
 アスベルは北門の方へと目を向けた。バーンズの家に戻っているのだろうか、そう思いながら自然と歩を進める。
 緩やかな坂道を上り、広場の脇の階段を上がれば、色とりどりの花に埋め尽くされた花壇を持つ家が見えてきた。そして、静かに聞こえてくるピアノの音色。
 幼い頃と、そして旅の合間に聞いた旋律だ。
 勝手に入るのはどうかと思ったが、それも今更だ。静かに扉のノブに手を掛ければ、やはり抵抗なく回るそれ。静かに押し開けると、居間の片隅に置かれたピアノの前に居る探していた姿。
 やがて旋律は静かに途切れ、鍵盤の上を滑るように動いていた両手が離れる。それを見計らって青年は口を開いた。
「シェリア」
「……!? びっくりした。アスベル、どうしたの?」
 名を呼ばれ、驚いたように振り向いた彼女に、青年は歩み寄りながら答えた。
「外に出たって聞いたけど時間が経ってるから。もしかしたらと思って来てみたんだ。……どうしたんだ?」
「此処ともしばらくお別れすることになるから、色々と思うことがあって。気が付いたら家に来ていたの」
「…………いつ、ラントを発つつもりなんだ」
「明日にでも」
「明日!?」
 驚愕する青年に、彼女は頷く。
「こうしている間にも困っている人は居るわ。それに、ラムダの残した繭にはまだ暴星魔物が多く居て、いつ出て来て人々を襲うか分からない。でも、私には何とか出来る力がある。…………ソフィのくれた、大切な力が」
「…………」
「でも、やっぱり身一つで行くわけにはいかないもの。必要な物を手配し終えてから、ということになるから………、現実的な話をすると数日後ということになるわね」
 人差し指を頤に当てて考えるようにしながら続けたシェリアに、その言葉を聞いたアスベルが瞳を瞬いた後、安堵したように溜息を吐いた。
「何よ、その溜息」
「本当に明日行ってしまわないと分かって、ほっとした」
「…………アスベル?」
「本当に、行くんだな?」
 その問い掛けに、シェリアは僅かに瞑目した後、瞳を開いてまっすぐにアスベルを見つめながらしっかりと頷く。
「ええ、行くわ。私にしか出来ないなんて驕るつもりは無いけれど、少しでも力になりたいから」
「そう、か」
 彼女の夢を応援したい。
 その気持ちは嘘では無い。だが、青年の心の中にはもう一つの思いが浮かんでいた。
 行かないで、傍に居て欲しい。
 決戦へと挑む前夜、初めて彼女の夢を聞いた時にも思ったことだった。ソフィと、己を助け、支えて欲しいとごく自然に思って口を出た言葉。
 けれど今は違う。
(俺が、ただ……)
 離したくない、と。
「アスベル?」
「え? あ、いや。……俺も頑張らないとなと思って」
 隠すように笑みを浮かべ、頭を掻きながら言ったアスベルに、シェリアは青年を見上げたまま笑った。
「本当にね。これからはアスベルがラントを守るんだから」
「そうだな。勉強することも山ほどあるだろうけど」
 頭が痛くなりそうだ、と眉根を寄せて見せたアスベルはふと口を閉ざしてからシェリアを見て言う。
「シェリア」
「な、何?」
「ピアノ、聞かせてくれないか」
「え……? め、珍しいわね、アスベルからそんな事言うなんて」
「少し聞こえてきたんだけど、どうせならちゃんと聞きたいから」
「……いいわ」
 にこりと微笑してピアノへ向き直った彼女は、再び両手を白い鍵盤の上に乗せた。
 一呼吸を置いて、そして響き始めた柔らかな音色。
 アスベルはピアノを弾くシェリアを見つめながら、両手を静かに握り締めた。
(俺が、出来ることは……)


Nocturne
夜に響く柔らかな音色、それを奏でる彼女を見つめながら――。
ED後の連作「Andante/Crescendo」の第一弾、「Andante」の三話目です。前半は仲間たちとの触れ合い(笑)で、後半はようやくアスシェリ的な展開を。アスシェリ的に絶対外せない「ピアノ姫」を盛り込んでみました。はてさて、何か決意したアスベルはどうするのでしょうか。というわけで、まだ続きます。
[脱稿:10'1.23 掲載:10'1.25]


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