「アスベルは?」
では揃ったようですし、頂きましょう。
そう、邸の女主人であるケリーが口にすると、彼女の隣に座していたソフィが小首を傾げて近日中に義母となる人に問い掛けた。
彼女はその問いに微笑しながら答える。
「アスベルなら、客室で陛下とご一緒に朝食を頂くそうです。お昼までにデール公爵様がお出でになるということですから、今後のことについてもお話することがあるのでしょう」
デール公がラントに来る、という話は昨晩のうちにシェリアから皆に伝えられていた。だからこそケリーの返答に、問い掛けたソフィも顔を揃えた皆も納得したような顔になる。
ラント領主邸の今朝は、かなり早くから慌しい様相を見せていたのだ。
まず日が昇ってから少し、民兵を束ねるバリーが数名の部下と共に出立の報告に訪れた。バロニアへの連絡港に到着するデール公が乗った船を出迎え、ラントまでの護衛となる為だ。
そして邸内ではフレデリックの指示の下、デール公を迎える準備が整えられている真っ最中である。特に台所を預かる料理長とその手伝いをするキッチン・メイドは、ただでさえ国王陛下を迎えて緊張している所にその側近であるグレルサイド公まで迎えるとあって、かなりの緊張を強いられているらしい。
「だからアスベル、早起きなんだね」
そしてアスベルは、日が昇る前に支度を整え終え、バリーの出立前の報告を受けたり、フレデリックと話をして料理長を激励したりということをやっていた。
旅をしていた頃にはシェリアに続いて早起きだったソフィの、含みの無い純粋なその感想に少女以外の者がそれぞれに笑う。
「アスベルは寝起きが悪かったのですか?」
「うん。いつもシェリアが起こすまでぐっすりなんだよ」
「まあ」
「ソ、ソフィ……!」
「どうしたの、シェリア?」
「も、申し訳御座いません、ケリー様」
頬を染めて頭を下げるシェリアに、ケリーは楽しげに微笑しながら首を振った。
「良いのですよ、シェリア。けれど、それで良く騎士学校でやっていけたものね。当然、起床時刻は決められているでしょうに」
「ええ、仰る通りです。私も不思議ですよ。彼は入学したての頃は兎も角、上級生となって一人部屋を与えられてからは遅刻はしたことが無かった。だからこそ、共に旅をするようになって『朝が弱い』のだと初めて聞かされた時には驚いたものでした」
「うんうん、教官驚いてたねー。でも、確かにあたしが会った頃は今ほど寝起きは悪くなった気がするかも?」
頤に人差し指を当て、出会った当時のことでも思い出しているのか思案顔でマリクに相槌を打ったパスカルの言葉に、ソフィが言った。
「シェリアと仲直りした後からだよ。アスベル、安心して眠るようになったの」
「え……」
「いつもね、守ろうとして頑張ってたの。もう小さい頃の何も出来ない自分じゃない、だからって。でもね、シェリアがアスベルを怒ったでしょ? それでアスベル、えっと……気が抜けた?」
小首を傾げたソフィの言葉に、ヒューバートが眼鏡を押し上げてから口を挟んだ。
「肩の力を抜いた、では無いですか?」
「そう、それ。それからね、アスベルは良く寝坊するようになったの。シェリアが起こしてくれる、って分かってるから」
少女の言葉に、なるほどと頷く三人と、頬を赤く染める一人。
「そうだったの。……それではシェリアが出立したらどうなるのでしょうね」
「うん、心配。起こせるかな」
「ケ、ケリー様も、ソフィも……!」
うふふと笑うケリーと、不思議そうにシェリアを見るソフィは、中々に相性が良いらしい。
「ところでシェリア、いつ出立するのですか」
「あ、はい。薬品の手配がついてからですので、早ければ数日中に。まずはバロニアにあるウィンドル王国の救護使節団本部に立ち寄り、今後の活動についての相談をと思っています」
「決まったら知らせてくれるかしら。見送らせて頂戴」
「勿論です、ケリー様。有難う御座います」
「シェリア、わたしも」
「ええ、ソフィも有難う」
「あたしも見送りたいけど、お姉ちゃんとポアソンが里で待ってるしな〜」
「ぼくは微妙ですね。兄さんとの引継ぎ次第ですから」
「俺は決めてないが、総統閣下へ報告を頼まれていたからな」
パスカル、ヒューバート、マリクの言葉にシェリアは微笑しながら首を振る。
「気持ちは有り難くもらっておくわ。だけど、皆も自分のことを優先してね」
「さあ、スープが冷めてしまうから、そろそろ本当に頂きましょう」
折角、朝から頑張ってくれた料理長に申し訳無いわ、とのケリーの言葉にその通りだと頷き、口々に「頂きます」と声にしてから、日々フレデリックによって磨かれたシルバーのスプーンを持ち上げる一同であった。
「デール公爵閣下、わざわざラントまでお運び頂き、有難う御座います」
亀車から降り立った壮年の男性を見て、知らせを受けて出迎えた一同を代表してアスベルが声を掛けた。
踵を揃え、右手を胸の前につけた敬礼を見せた青年に倣うように、護衛としてデールを迎えに行っていたバリーたちは勿論、周囲に控えていた民兵が同じように姿勢を正して敬礼する。
「いや、礼を言うのはこちらの方だ。アスベル、良くぞ陛下を無事に救出してくれた」
「僭越ながら、私にとっての陛下は主君であることは勿論、それ以前に誓いを交わした大事な友人ですから。当然のことです」
微笑を浮かべてきっぱりと言い切った青年に、デールは満足そうに頷いて――気付いた違和感にアスベルを見つめた。
「アスベル、その瞳は」
「その件に関しては、中で。デール公、あなたにご報告すべきことがあります」
指摘されたデールの違和感の元――青と淡紫の二色の瞳を苦笑に眇めながら、アスベルは彼を領主邸の中へと誘う。
「……では、失礼するとしよう」
「は。バリー、早朝からご苦労だった。皆も、戻って休んでくれ」
労う声に姿勢を正した彼らは、若き主と王国の重鎮が邸内に入るのを見届けてから小さく息を吐くと、自主的に賓客を多く迎えている領主邸の警備に付くのだった。