「陛下、再びご無事なお姿を目にすることをどれほど待ち望んでいたことか……。ご無事のご帰還、心よりお慶び申し上げます」
休養するように、という「主治医」の言葉に従って、簡素ながら身支度は整えて寝台の背に上体を預けた姿で部屋を訪れた二人を出迎えたリチャード。
その彼の寝台の傍で跪いて感極まったように言ったデールに、彼の少し後ろで同じように跪いたアスベルは勿論、言われた本人であるリチャードも微笑を浮かべた。
顔を上げ、楽にするようにと告げて二人が立つのを待ってから、若き王は柔らかな表情で口を開く。
「僕も、再びこうして会うことが出来て嬉しく思う。それから、こうして駆けつけて来てくれたことも。――有難う」
「何を仰せになりますか。先ほどアスベルも申しておりましたが、それこそ当然のことに御座います」
「いや。長きに渡り国を空けてしまい、済まなかった。この度の世界的な騒乱の多くの責は僕にある。まだ二国と話したわけでは無いが、ウィンドルに大きな負担を強いることとなるだろう。勿論、僕はその責を受け入れるが……、二人には色々と苦労を掛けることになる」
済まない、そう続けた彼は、まずはと詳しい事情を知らないデールに全てを話す為に続けた。
「知って欲しい。これまでのことを」
そう前置きしてからリチャードが語り始めたのは、七年前の出来事。アスベルたちという初めての友を得た話から始まり、亡き叔父の手の者に毒殺の危機に遭ったこと、王都地下で未知の魔物と倒れるアスベルたちを見た時のこと、その未知の魔物と自分の「生きたい」という願いが同調したこと。徐々に侵食されていくことを感じながら、それでも自分の中に居る存在を拒絶しきれずに居たこと。
アスベルと再会してからの話は、リチャードの求めに応じてアスベルも言葉を挟んだ。
特にフォドラ――ここからは見えない、かつてこの世界の主星であった星の話には、さすがに驚いていたデール公であったが、それでも荒唐無稽な話だと一笑だにすることは無かった。
「なんとも、人の業に満ちた連鎖ですな。僅かなすれ違いが歪みを大きくしたのでしょう」
「はい、私もそう思います」
「しかし――、何と無茶をする。いや、その無茶が『今』を繋いでいるのだから何とも言えんが。それで、『ラムダ』はお前の中に居るのだな、アスベル」
問いかけに頷いた青年は、右手で胸元を押さえて瞑目する。
「はい。眠る、と言っていました。ソフィも、もう消す必要は無いと言っていましたから心配は無いでしょう。これは――」
と、閉じた瞼を開き、二色の瞳でデールを見つめたアスベルは言う。
「私とラムダが混じった、その証だと思います」
「君の元の瞳の色と、ラムダの持つ赤、それが混じった色だね」
「恐らくは。とは言っても、ガルディアシャフトから出たシャトルの中で言われるまで、俺自身は全く知らなかったことなんだけどな」
苦笑しながら頭を掻いた青年に、リチャードは何とも言えない表情で笑んだ。
「陛下、責任感がお強い所は美徳で御座いましょう。ですが、あまり思い詰めなさるな。考えようによっては、これで危うい均衡の元にあった三国が、驚くほど近く、また結びついたのです。為政者として民の平和を望むのであれば、歓迎すべきことでは御座いませんか」
「デール……」
「私どもは全力で陛下のお力となりましょう。そうだな、アスベル」
「はい、勿論です」
「有難う、二人とも……」
瞑目して、心からそう言ったリチャード。彼は瞳を開くと、これまで自分の代わりに執務をしてきたデールに尋ねた。
「デール、政務はどうなっている?」
「急務は僭越ながら私めが決済して参りました。ですが、ストラタ大統領とフェンデル総統からの親書は、中身は拝見させて頂きましたが、お返事は無事にお戻りになった陛下にして頂きたく、そちらは保留として持参して参りました」
「では御璽も?」
「は。こちらに」
答えて、上着の隠しからベルベットで作られた小さな袋を取り出したデールは、それをゆっくりと開いてからリチャードに捧げるように渡す。
金で作られた、華美では無い意匠が施された、国王に代々受け継がれてきた王の印章――御璽。
「確かに。王都に戻ってからと思っていたけれど、これなら戻る前に出来そうだ」
「何か御座いますか?」
「ああ。アスベルの領主任命と。――それから、領地の格上げに関する勅命を」
その言葉に、なるほどとデールは頷いた。
「これからの外交に一層重要な土地となりましたからな、ラントは。そして内政を思えば、差し詰め公爵領と言った所でしょうか、陛下」
「さすがだ。その通りだよ、デール」
若き王を補佐するは、経験豊富な王国第二の都市を治める公爵。大公亡き現状、自らが王に近すぎ、また意見出来る者が居ないことも気付いていた彼は、感心したようなリチャードの言葉にもう一つ頷く。
「それが宜しいでしょう。私は出来うる限り陛下のお力になるつもりでは御座いますが、いずれは隠居することになります。その時までにはアスベルを筆頭に多くの若き力が育っているはずでしょうから、彼にはその時に指揮を取ってもらいたい。――どうだ、アスベル」
静かに控えていたアスベルに視線をやって尋ねたデールに、青年はゆっくりと頷いた。
「若輩故、至らぬことも多いと思います。ですが日々努力し、一日も早く陛下のお力となれるよう精進致します」
右手を胸の前につけ、しっかりとデールを見つめ返して答えたアスベルに、問うた男も、二人を見守っていた彼等の主君も柔らかに微笑する。
「では、明日の出立前に公にすることとしよう」
「は。お願い致します」
リチャードは頷き、そして口調を普段通りにしてくれて構わないといい置いてから続けた。
「ところでアスベル、昨日別れ際に聞いたことなんだけれど」
「え? ああ、領主として出来るだけ早くやりたいことがあるっていうのか?」
「昨日は夜も遅かったから引き止めなかったが、気になっていてね。何か緊急の案件でも?」
それならば書面の発行だけでも急ごうか、とも言ったリチャードに、アスベルは慌てて首を振る。
「いや、そうじゃない。ただシェリアが出発する前までにはと思っただけで……」
「シェリアさん?」
「……シェリアは、救護使節の活動を再開したいと思ってる。でも以前の活動は親父が彼女をラントの救護使節として認定したからであって、一度それを終えた今は厳密には正式な人員では無くなっているだろう? 確かに、バロニアにある王国の救護使節団本部で登録すれば活動の再開は出来るだろうけれど、何も無ければ時間が掛かる。けど、俺がラント領主としてラントの救護使節に任命すれば、それも難しくない。それにラント領として援助することも出来る」
「だから、か。そうだね、確かに君の言う通りだ。以前の活動歴は調べれば分かるから、信用という意味では問題ない。けれどやはり領主の任命を受けている使節の資格があると無いとでは大きく違う」
なるほど、と納得したように頷きながら言ったリチャードは、少し悪戯っぽく笑いながらアスベルに尋ねた。
「けれど、どうしても間に合わせなければと思うことかい?」
「……どういう意味だ?」
「僕が言えるべきことではないけれど、それは彼女の願いであって、君が絶対に手助けしなければならないことでは無い。君が優先すべきは、一日も早くラント領主として執務に慣れ、領内の治安を維持する為に民兵の指揮を掌握すること。言い方は悪いけれど、出来るだけ早くやりたいこと、に当てはめて良いものなのかと思って」
「それは……」
言い淀み、少しだけ困ったような色を浮かべるアスベル。それでも二色を持つ瞳は少し長めに瞼が落とされただけで、逸らされることは無かった。
「…………、必要なんだ、少なくとも俺には。本音を言えば、行って欲しくない、俺の傍で助けて欲しいと思っていた。でもそれじゃ駄目だ。理由が言えずに俺に次期領主に相応しくなるよう言っていた親父と一緒だ。……今はそれも、俺の為を思ってのことだと分かっているが、俺は…………まだどうしてなのか、その理由を見つけられていない。だから、今はシェリアの気持ちを優先させて送り出す。だから、今俺が出来る最善を尽くす」
それしか、思いつかないから。
苦しげに呟いた青年に、リチャードとデールは思わず顔を見合わせ苦笑する。傍から聞けばすぐに分かってしまう、彼が分からない「理由」。しかしそれを教えてしまうのは、お節介というものなのだろう。
「……分かったよ。彼女の活動は国にとっても良いことだし、反対する理由も無い。君は、君の出来ることでシェリアさんを助けてあげると良い」
「リチャード……、有難う」
「だけど、一つだけ」
「何だ?」
「いつか必ず聞かせて欲しい。昨日尋ねたことへの答えだ」
領主として立つ自分を、支える女性はどんな人なのか。
「出来れば、早い方が良いと思っているけれどね」