【ED後/下町の下宿にて/ユリエス/掌編】
「エステル、いい加減に部屋に戻れ」
「もう少しだけ……駄目、です?」
「駄目。そう言ってもう二時間は経ってるし」
青年を窺うように尋ねた彼女に対し、きっぱりとそう返したユーリは、目に見えて落ち込むエステルの様子に溜息を吐いた。
「折角隣の部屋が空いたんだし、あんたもゆっくり休めば良いだろ」
「わたしはユーリの部屋でもゆっくり休めましたよ?」
「オレが一緒なのに?」
「えっと……、その、はい。少し、ドキドキしましたけど。ユーリの気配はとっても安心します」
淡く頬を染めて答えたエステルに、ユーリは再度大きな溜息を吐く。
「……分かった、いいから部屋に戻れ」
「ユーリは……、わたしが居たら迷惑、です?」
その問いは卑怯だ、と黒髪の青年は内心で呟いた。
これが意図して尋ねているわけでは無いのだから参る。自分が口にした言葉が、その問いが、この状況下にある男にとってどんな意味を持つのか等、恐らく欠片も思っていないだろう。
いっそ懇切丁寧に説明して気付かせてやろうか。
理解すれば彼女は頬を染め、慌てて隣の部屋に戻るだろう。容易に予想出来て、それが良いのかもしれないとも思った。
しかし、もし理解して、それでも戻らないと言ったのなら?
(……戻れなく、なるのか?)
この数日、きちんと言葉にして伝えていないとは言え、好意を持つ異性と一つ屋根の下、それも一つの部屋で寝起きしていた。健全な成人男子としては、ある意味何よりの苦行の日々だった。
据え膳食わぬは、という男にとって都合の良い、どこかの古い諺が何度も脳裏を過ぎりながらも耐えてきたのは、最後の一歩を踏み出せない気持ちがユーリの中にあったからでもある。
このままが一番良いんじゃないか、そう思って前にも後にも進まず、エステルのことに関してはいつの間にか立ち止まっている自分が居て。
「……ユーリ?」
ずい、といつの間にか間近に迫っていたエステルが不思議そうに問い掛ける。
少し身を屈めれば、簡単に触れることの出来る距離。
「あんたは、オレを何だと思ってる?」
「え?」
「オレは、男で。あんたは女で。……こうやって」
腕を伸ばし、少女の体を引き寄せ、腕の中に閉じ込めた青年は、驚きに目を瞠ったエステルを見下ろしながら続けた。
「身動き出来ないようにすることだって、出来る」
髪に、耳元に、触れるか触れないかの加減で唇が降りていく。離れなければ、と奥歯を噛み締めて腕の中に抱きこんだ少女を突き放すように解放すると、青年は表情を消して言う。
「エステル、早く部屋に」
「…………嫌、です」
小さく笑んで、少女は自ら青年へ寄り添った。
「わたしは、ユーリと居たい、です」
「ちゃんと分かって言ってる?」
「今は。でも、分かる前も思ってたんですよ。ユーリだから、同居させてくださいってお願いしたんです」
他の誰かなら、簡単にお願いなんか出来ません。
そう続けた彼女を、青年は再び己の腕の中へと引き寄せた。
「あんたが来て、追い返さなかった時に答えは出てたのかも、な」
「そうなんです?」
「こんなことなら、睡眠不足になる前にさっさと負けとくべきだったぜ」
「ユーリ、眠そうにしてたと思ったら、寝てなかったんです?」
「だからって、今日はちゃんと寝ろ、なんて寝不足が続くより残酷なこと言うなよ。嫌だって言って、残ったのはあんたなんだし」
「あの……、はい」
恥ずかしそうにしながら腕の中で俯きがちになった少女の頬は、淡く染まっている。それを見て楽しげに口元を持ち上げた青年は、ここから今までの回り道が嘘のように近道をするけれど、取りあえず順番どおりに、と思いながらエステルの耳元で一つの言葉を囁く。
そしてその夜、青年の部屋の扉が開くことはなかった。
*「7.事情」「57.眠れない」の数日後。なんちゃって同居生活の進展編と言ったところでしょうか。