一年という区切りが明確にされる日。暦の上で、新たな年に切り替わるその前日というのは、その一年に対して思い返したり、また、新たな一年に対して希望を描いたりということを無意識のうちにしてしまう。
ユーリは帝都ザーフィアスの下町の宿屋、箒星二階の下宿している自室の窓辺に腰掛けて、夜の街並みを眺めながらそんなことを考えていた。
家々に灯る明かり、そして遠くから聞こえてくる喧騒。
今日は様々な場所で年明けを迎えるパーティが催されているはずだから、いつもならシンと静まり返る夜の街にざわめきが満ちていても珍しいことではない。ユーリが耳にしているのは、恐らく此処から一番近い旧噴水前広場で行われているパーティの喧騒だろう。
そう言えば、と今頃そのパーティに参加しているであろう面子を思い返して彼は口元を小さく持ち上げた。
(ハンクスじいさんも居ることだし、未成年のお子様達が酔い潰れることは無いか)
酒に興味津々という様子を隠しもせず見せていた魔導少女、いけないことだと分かりつつも推しの弱い少年、そしてうっかり飲んでしまいそうな天然少女。――クリティアの女性も実はまだ成人していないのだが、それにしては飲みなれているようだから……まあ三人よりは心配無いだろう。
かく言うユーリも、声を掛けられる度にグラスを手渡されそうになり、気が付けば杯を満たされていたりで、それなりに飲んでいる。年明け前に潰す気が、と言いたくなるような量になりそうだったので、酔い覚ましも兼ねて相棒とひっそり抜け出してきて少し。
「……いいのか、年明け前で忙しい騎士団の団長サマがこんな所に来ても」
ふと感じた気配にも街並みから視線を外さないままに言ったユーリに、暗がりから微笑を浮かべた金髪の青年が現れた。
「働きづめだから、せめて今日の夜くらいはお休みください、って言われたんだよ。さすがに、休む時には戻らないといけないから、掴まらないように裏道からね」
話したかったんだ、そう言って歩を進めた彼に、ユーリは小さく肩を竦める。
「難儀なこった」
「休めるだけ良い方だ。それに、これは僕が選んだことだから」
職務中では無いからなのか、簡素な出で立ち。しかし愛用の剣はそのまま腰にある。その剣の柄に手を添えて静かに撫でるようにしつつ言った彼は、窓の外に視線を向けた。
「でも、折角だし新年になったら少し挨拶はして行こうかな」
「ははっ。やめとけやめとけ、それこそ努力も虚しく、ヘロヘロになって城に帰る羽目になるぜ、フレン」
「いざとなったらエステリーゼ様を守って城に行けるくらいには留めるから平気だよ」
と、その返答にユーリは今まで動かさなかった視線をハッキリとフレンに向けた。
「城に連れて帰るってか」
「おかしくは無いだろう。あそこは、エステリーゼ様が帰られる場所なんだから」
皇位継承権はヨーデルの即位と共に正式に破棄し、ハルルに移り住んだ後となった今でも、それは変わらないことなのだと言うように。
「今は、……」
その続きが何故か出てこない。言葉を切った彼に、フレンは少し突付きすぎただろうかと内心で苦笑した。しかしこれくらいでは無いと、このいつも皮肉屋で素直じゃない親友兼幼馴染は、その眠れる獅子をいつまでも起こさないままだから。
「ヨーデル陛下も、彼女ならば喜んで共に年を向かえられるだろうし」
「それこそ忙しいんじゃないの」
「言っただろ、彼女ならばって。でも、仕事じゃないからエステリーゼ様がお断りになればそうもいかないだろうね」
ふわり、と二人は静かに確実に近付いてくる気配に気付いた。窓から外を眺めていたユーリが気付かなかったのは、見事一瞬の隙をついたからなのか。
「どうでしょうか、エステリーゼ様」
明らかに呼びかけている。その声に、扉の外の気配が不自然に大きくなった。
「あの……」
フレンと同様に暗がりから姿を現した少女に、金髪の青年はにこやかに微笑んだ。
「ご遠慮される恐れはございません。陛下もお喜びになるでしょう」
「……ごめんなさい、フレン。わたしは、此方で過ごします」
「そうですか。残念ですが、それがエステリーゼ様のご意思ならば、御心のままに」
恭しく言って頭を下げたフレンに、ユーリが追い払うように手を振る。
「そんじゃあな、天然陛下にヨロシク」
「君って奴は……。君こそ、エステリーゼ様をくれぐれも」
では、とエステルには丁寧に挨拶をして部屋を後にした金髪の青年。窓から見える背中を見送りつつ眺めていると、それまで静かにしていた少女に言った。
「いいの?」
「何が、です?」
「城。行かなくて」
言葉少なな問いに、少女はああと小さく笑う。
「いいんです。本格的なお仕事は年が明けてからになりますから。それに、わたしは此方に居たいです」
「あ、そ」
「それでユーリ、もうそろそろです。酔い醒まし、まだします?」
「もうそれほどじゃないけど。いいだろ、あっちは賑やか過ぎるし」
不自然すぎないように視線を落として両の手を見たユーリは、小さく頭を振って続けた。
「オレはもう少し此処に居る。あんたは、今ならフレンに追い付けるし、せめて広場前まで送ってもらえば」
「いいえ。それならユーリが戻りたくなるまで、わたしも戻りません」
「エステル」
「一緒に、年を越したいんです。誰よりもユーリと」
「…………あんたは」
苦笑して、はあ、とこれ見よがしに溜息を漏らしても彼女は微笑するばかり。観念したとばかりに青年が肩を竦めつつ手招きをすると、少女は嬉しそうに歩み寄った。
と、喧騒に混じって手を打ち鳴らす音が届く。それは、同じ感覚で打ち鳴らされ、その後に唱和するような声が微かに聞こえてくる。
「あと十秒です」
「んじゃ、九」
「八、七、六……」
「五、四、三……」
「二、一、――」
零。
わぁっ、と歓声。二人も顔を見合わせ、微笑み合った。
「新年おめでとうございます、ユーリ」
「新年おめでとさん、エステル」
「はい。来年も、一番にユーリに言わせてくださいね」
にこりと笑んで言った少女の言葉に、ユーリは口元を持ち上げた。
「一番に、か?」
「駄目です?」
「いや。いいんじゃないの」
「本当にです?」
「色んな意味で危険かもしれないけど」
「ユーリが一緒なら絶対大丈夫です」
自信満々に答えたエステルに、微妙に答えに対してすれ違いを感じつつ、しかし訂正せずに笑ったユーリは、遠目に見慣れた姿を複数見つけて口にする。
「オレ達にお迎えが来たらしい」
「お迎え、です?」
不思議そうに窓から外を見下ろしたエステルは、確かに青年の言った通りの姿を複数見つけたらしい。手を振り返し、顔を引っ込めた後、青年の腕を取って引っ張る。
「ユーリ、皆が来て窮屈になる前に行きましょう」
「あいつらは寧ろ窮屈になる一歩手前で自主的に止まって、こっちの様子を酒の肴にしたいだけなんだろうが……。ま、いいか」
窓辺から降りた青年は、左手を少女に差し出した。少しの間を置いてそこにエステルの右手が重ねられると、彼は軽く彼女を引っ張る。と、と前につんのめってユーリに抱き留められたエステルは、瞼の上に温もりが触れたことに気付いて、瞳をぱちぱちと瞬かせた。
一瞬の間を置いて、ふわりと染まる頬。その変化に満足そうに口元を持ち上げた青年は、彼女が拗ねる前にと先手を打って口を開く。
「今年も宜しく、エステル」
「っ、はい。こちらこそ、宜しくお願いします、ユーリ」