任意売却 Home ―a promise



 帝都を出てから紆余曲折、とにかく様々なことがあった旅をしてきた。その旅の中で出会った仲間達もそれぞれに事情を抱えていて、一つ一つ乗り越えてきて心を近づけて。
 今は仲間であり、一つの「家族」のよう。エステルはそんな風に思って微笑しつつも、自分が居ない間に起きただろう彼らの変化に驚きながらも少し悔しいような気持ちを覚えた。
 皆との対決、神殿の崩壊、そして「生き返った」レイヴン。帝都へ向かう為に危険なゾフェル氷刃海を通った際、そこで見つけたエアルクレーネとそれを利用して皆を狩ろうとした魔物に一人で立ち向かい、危機を逃れるきっかけを作ったというカロル。
 そしてユーリ。
「仕方無いけど、ずるいです」
 ハルルから帝都へとラピードだけを伴って一人で出発したユーリは、途中クオイの森で休息を取っていた際に、仲間を呼びに戻ったラピードと共に追いついた彼らに「不義への罰」を与えられたのだという。
 カロルが言っていた。皆がそれぞれについていくのだと宣言した後のユーリの言葉は、今まで聞いたことの無いような声だったのだと。
「何がずるいんだ?」
「え? あ、ユーリ」
 戦闘で無茶をしているのだから、とリタを始めとして仲間達それぞれから宿でゆっくりしていろと言われ、長らく読みかけだった本を引っ張り出して読書をしていたエステルは、丁度今考えていた人物の声に慌てて顔を上げた。
 驚いた拍子にテーブルがガタリと揺れ、ソーサーの上に置かれたカップとスプーンが余り耳に楽しくない音を立てる。あまり減っていなかった紅茶が零れて白いソーサーが琥珀の海になった。
「ああ……!」
「待て、動くな。いいから座ってろ」
 慌てて何か拭くものは無いかと腰を浮かせようとしたエステルに、ユーリは持っていた紙袋を壁際に置くと、部屋に置いていった自分の荷物から布巾を出して持ってくる。
「落ち着けって。まあ、急に声かけちまったオレも悪かったけど」
「は、はい。……すみません、ユーリ」
 自分の軽率さに項垂れたエステルだったが、頭にぽんと置かれた温もりにそろりと視線を上げた。その先には、微苦笑を浮かべてはいても呆れた様子は見られない青年の顔。
「おあいこってことで。それより、ただいま、エステル」
「あ。はい、おかえりなさい、ユーリ」
 反射的に笑顔を浮かべたエステルに、満足そうに頷いたユーリは、てきぱきとテーブルを拭いて紅茶の海を湛えたソーサーごとカップを持ち上げた。
「これ片してくるわ。代わりに何か持ってくるけど、何がいい」
「ユーリと一緒のでいいです」
「了解。ちと待ってろよ」
 すたすたと足早に部屋を出て行った姿を見送ってから、エステルはほう、と息を漏らす。
「やっぱり、ずるい、です」
 あの時に、「おかえり」と「ただいま」の言葉を交わして。それからだった。どちらかが待っていて、どちらかが帰って来た時に必ず言うようになったのは。
 皆もそうだった。ユーリとエステルのやり取りを見ていたからなのか、ごく自然に言うようになっていた。
 辛いことも苦しいこともとにかく山積みで、城の中で過ごしていれば感じることの無いものだったかもしれない、そう思わなかったことが一度も無いとは言わない。
 けれど、同じくらいかそれ以上の楽しいこと、嬉しいことを経験した。
 たくさんの「宝物」を手に入れた。
「エステルと、初めてのお友達と、家族のような仲間達と……」
 呟きながら左手で指折り数えていたエステルは、扉の開く音に気付いて勢い良く顔を上げた。
「エステル、レモネードで……何やってんだ?」
「え? あ、えっと、その」
 左手を慌てて握って右手で覆い隠しながらあたふたする様に、ユーリは小さく喉の奥で笑いながらテーブルへと歩み寄る。
「そう言えば、皆はどうしたんです?」
「カロルはレイヴンと残りの買出し。リタは古書店で魔導書見つけて居座ってる。ラピードは店の前で今頃欠伸してるだろうな。ジュディはバウルの様子を見てくるとさ」
「それでユーリは一人で先に戻ってきたんです?」
「うちのお姫様をあんまり長い時間一人にしとくのも心配だ」
 その言葉に思わず言葉に詰まったエステルは、僅かに頬を膨らませた。
「これ、おっさんの言葉。で、うちの首領はこうだ。――買出しはボク達に任せてユーリは先に戻っててよ。ユーリだって本当はもっと休まないといけないんだからね! だとさ」
 少年の口調を真似して言ったユーリに、エステルは小さく噴出した。くすくすと笑いながら大きく頷く。
「はい。カロルの言う通りです。ユーリはいつだって人一倍何かをしてますから。さすが首領、良く見てますね」
「我らがギルド凛々の明星の、頼もしき首領だからな」
 に、と笑みながら持っていたマグカップをエステルの前に置くと、ユーリは向かい側の椅子に腰を下ろして手にしたままのマグカップに口をつけた。
 ふわりと立ち昇る湯気とレモン特有の香り。小さく礼を言ってからカップを手にして口をつける。
「……っ、すっぱいです〜」
「レモネードだからな。それに、何のためにスプーンが入ってると思ってんだ? 蜂蜜は溶けやすいが、それでも良く混ぜないとな」
「ユーリ意地悪です、飲む前に言ってください」
「そりゃー悪かったな。でも、目、覚めただろ」
「はい?」
「言いたいこと、って言うよりは聞きたいことか? なんかあんだろ。そういう顔してた」
 帰って来た時に。
 言い添えて、そしてもう一口。マグカップを静かに傾けた青年に、言われた彼女は少し躊躇いながらも口を開いた。
「……皆から、わたしが居なかった間のこと色々聞いたんです」
「らしいな。おっさんがポカりと一発やられたっつってた」
「はい。不義には罰を、です」
「そんで?」
「カロルが一人で大きな魔物に立ち向かった話を聞いた時、すごくドキドキして、ほっとして、嬉しくなって、少し悔しかったです。カロルが危ない目に合うのも、皆が危ない目に合うのも嫌ですよ? でも、わたしもカロルの頑張った所、見たかったな、って」
 深い森の中で出会った、器用だけれど少し頼りなかった少年。旅の間に少しずつ逞しくなっていって、けれど途中で見れなくなってしまったから。
「分からないでも無いけど、ありゃ本当に心臓に悪い」
「でもユーリ、嬉しくなかったです?」
「……まあ、そんなことあるけど」
「ふふ。リタとレイヴンとジュディスも、言葉はそれぞれでしたけど、表情は今のユーリみたいな顔でした」
 小さく肩を竦めたユーリに、エステルはもう一つ声を立てて笑う。
「それだけじゃないだろ」
「どうしてです?」
「皆の話を聞いた、っつーことはだ。うちの首領とあの天才魔導士がオレの話をしないわけないだろうから」
「……ハルルを一人で出て、クオイの森を通って帝都に向かおうとした、ですよね」
「ああ」
「ユーリらしいな、って思いました。ユーリは……優しいから」
 話を聞いた時にエステルはすぐに分かった。彼が一人で向かったその理由を。皆を置いて、ラピードだけを伴ってハルルを出た気持ちを。
「……なんでそうなる。オレは」
「皆の話を聞いたって言いましたよ? 覚悟決めてるが、諦めてもいない、そんなところだって言ってたって、レイヴンが」
「…………あのおっさんは」
「それに、です。今となってはこれもおあいこなんだ、って思ってます。ユーリとの約束最初に破ったのはわたしですから」
 フェローの話を聞いた後に二度と言うなと。自ら死を望むようなことをするなと。
「おあいこ、か」
「はい」
 互いに剣を向け合った。
 一方は覚悟を決めながらも最後の最後まで諦めずに、一方はこれで解放されるのだと思いながらまだ生きたいとどこかで思いながら。
 今はまだ、全てを冷静に話せるほど時は経っていない。
「そういうことにしておくか、今は、な」
「そういうことにしておいてください、今は」
 顔を見合わせて笑って、ゆっくりとマグカップを傾けて。
 温かい飲み物に固まっていた体が解きほぐされるように、ほっとした所でエステルは再び口を開いた。
「ユーリは何言ってるんだ、って思うかもですけど。わたしも、あの時が無ければってさっきカロルのことで思ったり、実はユーリのことでもあったりするんですけど。でも、あの時を経て今があって、今のわたしが在るなら……、やっぱり少し悔しく思いながらも同じ道を選びます」
 ヘリオードで感じた時の寂しさや痛みなんて比ではなかった。
 離れていた間の寂しさ、空から彼が現れて真っ直ぐに手を伸ばされた時の嬉しさ、離れたくないと願いながら自分の力が彼を傷つけることを恐れて終焉を望んだ痛み、それでも再び見えた時の嬉しさ、剣を向ける苦しみ、胸に抱きとめられて言われた「おかえり」に込み上げた至上の喜び。
 想うこと。憧れという綺麗なだけの思いとは違う、複雑で厄介で――それでも強烈なほどに残る焦がれるという感情。
「とても大切なことに気付けたのは、あの時があったからです」
「大切なこと、か」
「はい。わたしの四つ目の宝物です」
 両手を重ねて胸の上に置いたエステルは、瞼を伏せて微笑んだ。そんな彼女を見て、ユーリも口元をやわらかく持ち上げた。
「宝物ね。……そうだな。そうかもしれない」
「ユーリ……?」
「オレもエステルと同じってこと。旅に出たことは大きかったぜ。帝都に居たままじゃ一生分からなかったことを経験して、一生手に入れられずに終わったかもしれないものを手に入れたからな」
 微笑を浮かべたまま、エステルを見つめたまま言った彼は、先ほど少女がしたように瞼を伏せた。恐らくは旅に出てからのことを思い返しているのだろう。エステルがそうであったように、この旅はユーリにとっても様々な出来事が去来したものだったから。
「明日はザウデだ」
「……はい」
「それで全部綺麗に片付くわけじゃねぇけど、少しは落ち着けるだろ。今日みたいにさ」
「出来るでしょうか」
「あんたがそう願えば出来ねぇことなんて無いさ。ここに今、こうしているのもエステルがそう願ったからだろ」
 わたしはまだ、人として生きていたい!!
「皆のおかげでもあります。あの時、本当は危険だったんです、よね」
「そんなのどうってことねぇって。あんたを助けること、それがあの時のオレ達の願いだったからな」
「でも……」
「まぁ、気にするなって……ってもエステルは気にするんだろ? だったら良い方法があるぜ」
「良い方法です?」
 どういう方法なのだろう、小首を傾げたエステルにユーリは言った。
「エステルがエステルのままで生きていること」
「私が、私のままで、です?」
「旅をしてきた時に色々あったみたいに、生きてりゃ色んなことがある。それも全部生きていてこそのものだろ。だからあんたは、笑って、泣いて、怒って、自分のままに生きろよ。オレはそう思ってるし、あいつらもきっとそう思ってるだろうからさ」
「はい……!」
 エステルが笑顔で返事をすると、ユーリは満足そうに頷く。それから何かを言いかけて視線を僅かに逸らした彼は、問いかけるような視線におされたように付け加えた。
「あと、は。答えてくれりゃいい」
「はい?」
「さっきみたいに、だよ」
 さっきみたいに。
 エステルは少し考えて、あ、と小さく声を漏らした。
「オレはそれだけでいい」
「……ユーリ」
「取りあえずは、明日のことが済んだ後だな。帝都に戻った時にさ」
「はい!」
 おかえり、その言葉を言えることが嬉しい。
 ただいま、その言葉を聞けることが嬉しい。
 近い未来に再びその言葉を交わす約束をして、二人は仲間達が戻るまで穏やかで緩やかな時間を過ごした。
 その約束を果たすまでに、更なる衝撃がある事など思いもせずに。



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「おかえり」に「ただいま」を、「ただいま」に「おかえり」を、いつでも返すと
時期としてはエステル帰還後〜ザウデ到着前。ザーフィアスってあの混乱があったから物資の補給とかでカプワ・トリム辺りにでも寄ったってことで。エステルが皆の元を離れてた間って色々あったから、彼女も変化に気付いたんじゃないかと思って書き始めた話。ユーリの変化とか、「おかえり」と「ただいま」についてを詰め込んでみました。収拾が微妙につかなくなってきたので無理やり切った感が……。その辺りは、実は続きがあったりするのでそちらで挽回したいなと思います。
[脱稿:08'10.3 掲載:08'10.7 レイアウト修正:08'10.9]


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