ダイビング 偉大なる小さき導き手【ユーリ・21歳、カロル・12歳】



「ユーリ! ただいま!」
 だだだだっ、と足音が近付いてきて、けたたましく台所の戸が引かれた。
「ストップ。少年、手ぇ洗って来たか? うがいは」
「勿論やって来たよ!」
 へへん、と鼻の頭を人差し指で擦った少年に、台所で作業をしていた青年はポニーテールを揺らして振り向いた。
「よし。入って食っていいぞ。冷蔵庫の二段目」
「うん!」
 足早に冷蔵庫に歩み寄った少年は、扉を開けて目当てのものを見つけると瞳を輝かせた。
 慎重に取り出して冷蔵庫の扉を閉めると、大きなテーブルの一角を作業台にしていたユーリの向かい側の椅子に落ち着いて、ふんわりとかかっていたラップを外した。
「今日はショートケーキなんだね」
「カロル含めてお子様からのリクエストがあったからな。ほれ」
 フォークを皿に置かれ、カロルは短く礼を言いながらそれを手にすると、僅かに頬を膨らませながら長身の青年を見上げる。
「お子様って。ボクもう十二歳だよ?」
「オレから見れば小学生はまだまだお子様だよ。まあ、ウチのお子様達は世間一般のお子様よりはしっかりしてるけど」
「へへっ。でしょ? いただきま〜す!」
「あ、コラ。飲み物も一緒にっていつも言ってるだろうが。……ったく、仕方ねぇな」
 苦笑しながらもフォークを手にケーキに挑みかかっている少年の姿に、ユーリは作業の手を止めてふきんで手を拭うと、食器棚からマグカップと、冷蔵庫からミルクを出して注いで置いてやる。
「おいしい!」
「そりゃどーも。それよか、そんながっつくなって。チビどもにはもう食わせて昼寝させてるから取られやしねぇよ。のど、つまらせるぜ」
 冷蔵庫にミルクを戻しながらユーリが言った途端、カロルがぐっ、と呻いた。
「言わんこっちゃない」
 呆れつつマグカップを持たせ、ミルクを飲ませながら小さな背中をさする。
「……っ、ご、ごめん、ユーリ……」
「気ぃつけろよ」
 ふぅ、と一つ息を吐いて作業に戻ったユーリに、今度はゆっくりと一口ずつ味わいながら見ていたカロルが尋ねた。
「ユーリ、それ、何作ってるの?」
「夕飯の後のお楽しみの仕込み。卵が安かったからな」
 卵黄を入れたボウルに、砂糖を入れてホイッパーで混ぜた後、火に掛けていた鍋の中身を入れて更に混ぜる。
 その時に立ち昇った甘いバニラの香りに、カロルはあっ、と声を上げた。
「それ、最終的には冷蔵庫行き?」
「正解。その前にまた火に掛けて、とろみがついた後に冷やして、生クリーム入れて。それでほっとければいいけど、何回か出して混ぜてやる必要があるからな。シンプルだけど手間がかかる」
 その手間を想像したのか、カロルも同意するように頷いた。でも、と苺を頬張った後に言う。
「ユーリは簡単にお菓子、買ってきたりしないよね。材料があれば大抵作っちゃうし。ポテトチップスとか、キャラメルとかも」
 あれにはビックリしたんだ、と言い添える少年に、ユーリは苦笑しながら答えた。
「そりゃあれだ、そうやって育ったからだな。オレがガキん頃はディーネがこうやって作ってたんだ」
「ディーネが?」
「ああ。学校に通うようになって、園の外にもダチが出来て、そん時に世間一般のお菓子の類も食べる機会があったんだが、味が違うんだよな」
「うん、それは分かる。何ていうか、違うんだよね」
「そういうこと。それに材料さえ問題なけりゃ、作る過程が見えてるわけだからそういう意味で安心だし。作るのも嫌いじゃないからな。失敗しても自分の責任だ、そうやって納得出来たし」
 出来立てあつあつ揚げたてのポテトチップス、カラメルソース多めのプリン、少し形が歪でけれど市販のものより少し大きめのキャラメル、型抜きをするのが毎回楽しくつい作りすぎるクッキー。
「ユーリも失敗したりしたの?」
「そりゃな。焼きすぎて焦がしたり、お約束に塩と砂糖を間違えて甘いポテトチップスを作ったこともあったな」
 ありゃある意味で新感覚の味だった、とその時のことを思い出したのか、なんとも言えない顔になったユーリにカロルは笑った。
「今は毎回凄いよね。ボク、ユーリが来る日に学校から帰ってくるのが楽しみなんだ」
「そりゃ光栄だ」
「普通の料理も上手だと思うけど、やっぱりお菓子かな。特に甘いもの。食べててさ、凄くこう、幸せになるんだ。自然と笑顔になるっていうか。皆もそうだし、きっと他の人もそうだと思うな。ユーリがケーキ屋さんとかだったら、もっといっぱい色んな人を幸せに出来るんじゃないかなー、なんて」
 きっと彼にしてみれば本当に何気ない言葉だったのだろう。
 けれどユーリはまるで雷に打たれたかのような衝撃を感じていた。
 幸せに。自然と笑顔に。
「……ユーリ?」
 自分もそうだった。ユーリはフレンを、ディーネを、園の皆の笑顔を守りたくて、そうしてあの事件があって分かりやすく守れる力を得られる「警察」に憧れて。
 けれど、必ずしもそうすることがユーリの「正解」ではなかった。
 きっとそれは、とても近くに存在していた。けれど大きな回り道を選んでしまっていて、「正解」の先に存在する一番はハッキリしていたのに、そこへ至る道を見失っていて。
「…………笑顔、か」
 ユーリは呟いて、不思議そうに見上げる少年を見て微笑すると、手を伸ばしてその頭をぐりぐりと撫でた。
「感謝するぜ、少年。いや、カロル先生?」
「せ、先生? 本当にどうしたの、ユーリ?」
「いやなに、問題が解決したからな。助かった」
「そうなの? それなら良かったよ。あ、ごちそうさま」
「ん、お粗末様。礼はそのうちにな」
 席を立って食器を流しに下げた少年の背中にユーリが言うと、振り返りながらカロルは言う。
「気にしなくて良いよ。いっつも美味しいもの食べさせてもらってるんだもん」
「オレが気にするんだよ。いいから憶えとけって」
「うん、分かった。じゃあボク、宿題あるから部屋に戻るね」
「おう。夕飯はオムライスだからな」
「やった、楽しみにしてるね!」
 ぱたぱたと軽い足音を響かせて出て行った少年を見送ったユーリは、自分の両手と、作りかけの材料が入ったボウルを見て、夕食後にこれを出した時のお子様達――もとい、「家族」の顔を思い浮かべて口元を持ち上げた。
「……オレの、道、か」


偉大なる
小さき
導き手
迷い道に入り込んだオレを導いたのは、かつて夢を見出した時の自分と同じくらいの少年
カロルを「先生」と呼ぶような、そして原作でユーリがカロルを「首領」として認めたような、そんな関係をあらわすために。ユーリへきっかけを与えるのはカロル先生しか居ないと思い、この話が出てきました。
[脱稿:08'10.15 掲載:08'10.20 修正:08'12.18]


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