名刺作成 折込チラシ 星に願いを



「七夕ライトダウンキャンペーン、です?」
 今年も一年が半分過ぎ、折り返しの月の初日を迎えた。大学も夏季休暇前のテスト実施に向けて範囲についての説明があったり、課題についての説明があったり、と忙しい日々が続いている。
 大学一年生として春から忙しい学生生活を送ってきたエステルは、ようやく高校までと違った日々にも慣れたのに、とここ最近の蒸し暑い日も相俟って少々うんざりとしながらユーリの店へ向かって歩いていた。
 と、住宅街も近くなって来た大通り沿いの歩道に立ち並ぶ街灯に、同じポスターが一本置きに貼ってあることに気付いたエステルは足を止めてそれを見る。
 要約すると、七月七日に周辺の商店街加盟店舗で、夜の一時間、通常の照明を消してキャンドルや灯篭などと言った簡易照明のみを使用し、地球温暖化の原因と言われている温室効果ガスの削減努力をしようという企画である。
「『Vesper』でもやるんでしょうか……?」
 小首を傾げて一人呟いたエステルは、その答えを聞く為に、立ち止まっていた場所から心持ち早足で歩き出した。


「ああ、うちもやるぜ」
 エステルを通り越した場所へ視線を向けて、ほら、とシルバーを磨いていた手を止めて指差したユーリに、エステルはカウンターのスツールを回してそれを見た。
 店主が示した先には、彼女が此方へ来る途中で見かけたポスターと同じもの。しかしその隣には、街灯には貼っていなかった小さなポスターが並んでいる。
「ユーリ、あれは?」
「七夕ライトダウンの時間の特別メニューについてのお知らせ」
「特別メニューです!?」
 ぱぁっ、と傍目にも鮮やかな笑顔を浮かべたエステルに、ユーリは小さく吹き出した。
「……ユーリ、笑わないでください」
「く、くくっ。いや、な、あんまりにも分かりやすい、反応だったから、つい」
 くつくつと喉の奥で笑う青年に、カウンターの低位置に座した彼女は小さく頬を膨らませる。
「ユーリ……!」
「ははっ、悪かった。ま、特別メニューについては当日のお楽しみな。エステルには別に何か付けてやるから」
 な、と宥めるように言って片目を瞑って見せた年上の恋人に、エステルは未だ不満は消さないものの、ほんのりと頬を染めて約束ですよ、と呟くように言って香り立つ琥珀に満たされたティーカップを傾けた。


 七月七日。
 大学の講義を終えて一度帰宅したエステルは、夜六時を前にユーリの店『Vesper』へと向かった。まだ日も落ちていないからか周囲は明るいが、来る前には連絡を入れろと言われていたからメールで一報を入れてから。
 自宅から徒歩で十分ほどの場所にある店に着くと、七夕仕様なのか入口に細い笹が飾られていた。既に幾つか短冊が飾られていて、興味を覚えてその内の一枚を見たエステルは、店にお客としてやってきたのだろう子供の「お兄ちゃんみたいに背が大きくなりますように」とひらがなで書いてあった。
 微笑ましく思いながらドアを開くと、涼やかなベルの音が響いた後に、その音色とはまた違った意味で涼やかな声音が響く。
「あらエステル、いらっしゃい」
「こんにち……、じゃないですね。こんばんは、ジュディス」
「ええ、こんばんは。……ふふ、いつもより遅い時間だからかしら、物珍しい感じがするわね」
「はい。あの、ジュディス、それは?」
 出迎えた彼女が手に持っていたのは、ぶたの形をした陶器。エステルもどこかで見たことがあるそれは――。
「蚊取り線香の台よ。ライトダウンの時間は、店先に椅子を置いてそちらでもお客様をお迎えするから。まだ蚊はあまりいないでしょうけど、念の為にね」
「そうなんです?」
「ええ。さ、エステルは早く奥に行ってあげて頂戴。オーナーがお待ちかねよ?」
 ふふ、と笑ってまた後でねと外へ出て行く美女に、エステルは淡く頬を染めながら奥のカフェスペースへと足を向けた。
「こんばんは、ユーリ」
「お、来たな。ああ、そういやちゃんと家の人に断って来たよな?」
「はい。小母様に。ユーリに、宜しくお願いしますね、と伝えてくださいって」
 エステルにカウンターのスツールを勧めたユーリは、彼女のその言葉に僅かに言葉に詰まったように言う。
「あー……、今度また挨拶に行った方が良いか。そういや、去年の今頃に行った時以来だし」
「えと、あの。あまり気にしなくても良い、ですよ?」
「そういうわけには行かないの。確かに今年は大学生になってるけど、あんたが未成年だってのは変わらないんだ。ここは大人として、きちんとな。夜に連れ出す機会も増えるだろうし」
「え……?」
「アイスティー? アイスコーヒー? それとも今日はジャスミン茶にでもしてみる?」
「ジャスミン茶、です?」
「香りが独特だから苦手な奴も居るんだろうが、オレは結構好きだぜ」
「ユーリのおすすめです?」
 小さく笑みながら尋ねたエステルに、ユーリは口元を持ち上げながらすぐに用意する、と答えた。


「ユーリ、表の準備は済んだわよ」
「お、サンキュなジュディ。んじゃ、そろそろ外に出るか」
 時計を見れば既にライトダウンの時間である七時も間近である。中のカフェスペースは六時半に閉めているので、残っているのは店主であるユーリと、招待されたエステルのみである。
「今日は外で接客なんです?」
「そ。折角だしな。エステルはジュディと一緒に外に出といて。オレも準備したら出るから」
 頷いて、ジュディスに促されるまま店の外に出たエステルは、店先に用意された小さな椅子の一つに腰掛けた。
 足元には蚊取り線香と、小さなキャンドルが幾つか。ジュディスはそれらに一つずつ火を点けながら、ガラスのシェイドを被せていく。
「ほい、つーわけで、特別メニューな」
「ユーリ」
 銀のトレイの上から取ったガラスの皿の上には、笹舟。その船の中には角切りにされた色とりどりのフルーツやゼリーが乗せられていた。
「うわぁ……キレイです……!」
「で、エステルのは更にこれ」
 一つ取り上げた器を笹舟の隣に逆さに置き、ゆっくりと器だけを持ち上げるユーリ。器の中から現れたのは、薄い青の中に白い川があるアイス。
「ソーダと練乳のアイス。溶けるから、そっちから食べた方が良いぜ?」
「はいっ。ユーリ、有難う御座います!」
「どういたしまして」
 既に端からゆっくりと溶け出しているアイスを添えられたスプーンで掬い、口の中へ。その懐かしくもほんのりと柔らかな甘さに頬を緩め、味わいながらも溶けぬうちにと次を掬う手を止めぬエステルにユーリは口元を持ち上げた。
 そうこうしているうちにライトダウンの時間となったのだろう、『Vesper』は勿論、周囲の店舗も光を消していく。
「少し曇っているのが残念だけれど、梅雨の中なのだもの、これでも良い方かしらね」
「だな。サンキュ、ジュディ」
「どういたしまして。あら、早速お客様がいらっしゃったみたい」
 春先にオープンしてから着実に常連客を増やした『Vesper』。恐らく店の告知を見たのだろう、特別メニューを目当てに来たと思われる数組の客が店に現れた。
「っと、悪いエステル、オレも手伝ってくるわ」
「はい。頑張ってください、ユーリ」
 店先ではジュディス、店内ではユーリと、しばらく客の対応に忙しくしていた二人。
 エステルは笹舟の中のフルーツを口に入れながら、光の消えた周囲に視線を巡らせ、少し雲の掛かった空を見上げた。
「やっぱり星は見えない、ですね」
 幾らこの周囲の店舗がライトダウンに協力しようとも、この街は都会も都会にある。きっと店も家も全てが光を落とせば、この街で星を望むことも叶うのだろうが……。
 織姫星のベガ、彦星のアルタイル。天の川を挟んで存在する二つの星は、星の中でも明るい等級を持っているからエステルにも確認出来たが、天の川も見えればもっとキレイなのにと残念に思う。
 しかし雨では無く、雲があっても晴れた七夕。願い事も叶うだろうか、と天を仰いだまま瞼を落としたエステル。
「星に願いを、って?」
「っ、ユーリ!?」
「オレなら八つ当たりで願いなんか叶えてやるか、って思うけどな」
 ひと段落着いた、と言ってエステルの隣に座ったユーリが天を見上げながら言うと、彼女は不思議そうに首を傾げる。
「八つ当たり?」
「そ。雲は少しあるけど、下から丸見えだろ? 折角の一年に一度の恋人との逢瀬にこんなにギャラリーは要らないっての」
 まるで自分のことのように言うユーリに、エステルは小さく笑った。
「エステルが織姫だったら、良いの?」
「え……、それは、その……。良く、無いです」
「だろ? まあ、風情があって良いと思うが。来年は雨になるように、って願っとく?」
「ふふ。空の二人は喜ぶかもですけど、子供達はがっかりしそうです」
「……まあ、こればっかは天に任せるしかねぇんだけど。……また来年も一緒に、ってのは確定な」
「……はい」
 当たり前のように来年の約束を交わして、二人は雲の掛かった向こうに光る二つ星を見上げながら、そっと手を重ねた。








いを
来年も、その次の年のことを星に願って。


物凄い久し振りの更新で、かつ季節モノ更新でした。
今年の七夕は現代パラレルでほのぼのな二人を。残念ながら実際は天気が悪かったですが、作中で書いたように織姫と彦星には天気が悪い方が良いのかも、と思ってたり。

[脱稿:10'7.7 掲載:10'7.7]


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