折込チラシ Kiss―瞼の上なら憧憬の


「会ってかねぇの?」
 背後から掛けられた声に、彼女はハッとして振り向いた。そこに居たのは黒髪の青年。過去、何度か合い見えた相手とあって知らず警戒を抱きそうになる。
 少女のそんな様子に気付いているのかいないのか――恐らくは前者なのだろうが、彼は気にした様子も無く歩みを進めた。
「オレはまだ用事があるし、もう一人はまだ戻らない予定だし?」
「……あたしは」
 それ以上言葉が出てこない。開いた口を引き結んだ少女を見て、片眉を上げてどこか困ったように肩を竦めた青年は、ひらひらと手を振って横を通り過ぎていく。
 そのまま店が並ぶ方へと消えた気配に、彼女は困惑の表情で振り向いた。
 視線の先に見えるのは、夜空に輝く明星を表したギルドのマーク。オルニオンの家屋と同様に丸太作りの家は、小さいながらも立派なものだ。設立からようやく一年という新興のギルドではあるものの、既にその名は所属する者達の話と併せて、知る人ぞ知るものとなっていた。
 迷いつつも扉へと歩み寄り、意を決して小さくノック。しかし何の反応も無い。どうしようかと思いつつ扉を押すと、キィと音を立てて開く。
「あ……」
 少年は長椅子に横になって眠っていた。だらりと下がった片手にはペン、お腹の上には書類らしき紙の束、傍の木製のテーブルの上には資料なのだろうか本が数冊積まれていた。
 一年前よりも背が伸び、顔も少し幼さが抜けている。きっと二年、下手したら一年で、あっという間に見違える程に成長するのだろう。一年前、会う度に劇的に印象を変えて行ったように。
「少しは気配で気付きなさいよ」
 旅をしている時に、実際に数度は相対した。戸惑ってはいたものの、それでも引こうとしなかった姿と、彼女の目の前で深く眠る姿とは雲泥の差である。
 けれど、それだけ疲れているということなのだろう。あの黒髪の青年と涼しげなクリティアの女性が支えているとは言え、ギルドの首領は簡単に務まるものではない。ましてや新興の小規模ギルドでも知名度は大きく反比例して、世界規模だ。
 もしかしたら、もう、追いかけているのは自分の方なのかもしれない。
 少女は自嘲気味に口元を歪め、眠る少年の顔を見下ろした。
「でも、だからじゃなくて。昔から憧れてたんだから」
 臆病だけど、本当に大切なものを分かっていて。そして、器用さに甘えない努力家な所。何より、相手のことを思って行動出来る優しさと信念に。
 臆病だったり消極的な行動でそれらは隠れていたけれど、あの旅でその壁を打ち破った少年のそんな所は、今や少女だけが知るものではなくなっている。
 それが少しだけ悔しくて、でも嬉しい。
「……頑張って、カロル」
 そう簡単には置いてかせないから、そう呟いて、少女は眠る少年の瞼の上にふわりと唇を落とした。
 少女が出て行こうと背を向けた後、少年の頬が淡く色づいたことを知るものは誰も居ない。



瞼の上なら憧憬
絶対、置いてかれたりなんかしないんだから!
普段書かない組み合わせ、組み合わせ……と考えている時に、頭の中にはあっても、書かないだろうなと思っていたこの組み合わせが浮かびました。ちゃんと人物を示す名称は少女の言葉の中にしかありません。視点が少女寄りなので、敢えてというか。しかしカロル先生が登場するお題の話はしっかり話しに絡んでいるのに少年自身の言葉が無いというオチが。でもどういう状況か考えたらこれしかなかったのです。
byフランツ・グリルバルツァー『接吻』より『キスの格言』
[脱稿:08'12.5 掲載:08'12.27]


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