セミナー waltz 1.As you wish



「何で騎士になるのにダンスが必須なんだよ……」
 やってらんねぇ、とぼやきながら丁度良い枝ぶりの木を見つけた青年は至極身軽に登り始めた。目星を着けたそこに落ち着くと、蒸れる兜を外そうとして僅かに目線を下に向けた。
 がらんとした使われていない部屋のようだった。とは言ってもいかにも豪華な絨毯は敷かれているし、照明も城らしく豪華なものがついている。そこで淡いピンクのドレスを着た少女が、くるりと回っては首を傾げ、そしてまた何歩か進んでは首を傾げていた。
「貴族の娘だよな……。てことは……」
 もしかしてあの動きはダンスなのだろうか。そして恐らくは円舞曲(ワルツ)。左回りのワルツは、貴族の子女が社交界に初めて出る際に、舞踏会の始まりに踊るものだ、ということを先日まさに座学でやったばかりだ。
 騎士の職務として警備は基本中の基本とは言え、勿論それだけに留まらない。上司からの命令一つで何でもやる、それが騎士の務め。故にいかなる事態にも対処出来るように、得手不得手を問わず一通りの知識と実践は行われる。
 剣だけでは無く、弓、槍や戦斧に通じる杖術、そしてそのどれもに生かせる体術。ここまでは青年も文句は無かった。体を動かすのは彼の性に合っていたから。礼儀作法も貴族に媚を売る為にでは無く世渡りに役立つだろうという意味では学んでおいて損は無い、そう考えていた。
 しかしダンスはと言えば、完全にお貴族様の趣味に引っ張り出される事前提に学ぶもんじゃねえか、やってらんねぇ、というのが青年の本音だ。それに要は数種類の足運びと体捌きとその組み合わせで、それらを覚えてしまえばだらだらと男同士で練習もしなくていい。
 そう思って体を動かすことに関しては目も良いことながらそれを実行する器用さも持ち合わせている青年は、ダンスの練習に当てられた時間を都合三回目にして早々にサボるに至った。だが、その時間を過ごそうとして登った木の上で、他人のとは言えダンスを練習している場面を見る羽目になるとは。
 そんなことを思いながら、兜を外すことも忘れてしばらく眺めていると、とうとう動きを止めて俯く少女。座り込むことさえしなかったが、かなり落ち込んでいる様子だ。
 年の頃にして十三か十四。まだまだ子供らしさばかりが目立つ少女だが、貴族の子女が社交界に出るのは十代の半ばが殆どということだから、もしかしたら彼女も近々そういう機会を控えているのかもしれない。
「あ、やべ」
 ふと視線を上げた少女は何気なく窓の外に目を向けたのだろう、しかしその先には今、青年が居た。兜をかぶったままとは言えばっちりと「目が合った」気配。しかしこうして見つかってしまった以上、下手な動きは取れない。
 叫ばれるかと危惧した青年だったが、しかし少女は不思議そうな顔で窓辺に歩み寄り、背伸びをして窓を開いた。
「どうしてそんな場所にいらっしゃるんです?」
「……警備の実践訓練で」
 ということにしておいて頂けますか、と冗談交じりに続けるはずだった青年だが、その前に感心したように頷かれた。
「そうなんです? それはご苦労様です」
「いや、まあ……」
「あの、お仕事中に失礼だと思うんですけど、少しで良いんです、お相手をして頂けませんか」
「は? お相手……、オレ、いえ、私が、ですか」
「はい。騎士の方は皆さんダンスがお上手だと聞きました。お願いします」
 きっちり前で手を組んで斜め四十五度の礼を取られ、青年はお願い以前に驚いた。騎士には貴族の子弟が多いが、それでも名家の出でなければ若い者は軽んじられる。下町出身の平民ならまず間違いない。目の前の少女は城に住めるような身分なのだろうが、しかし驕った様子は欠片も無く、貴族の娘だと無意識に身構えていた青年が拍子抜けするほどに天然さを感じさせて。
 貴族は好かないとばかり思っていた事が、自分が嫌いな「区別」を自分からしていたのだと、この少女を見て気付かされた青年はふと笑った。
「あの……?」
「警備中ですので、内緒にして下さるなら」
「はい!」
「では、窓から離れて頂けますか」
 頷いて少女が窓から見える場所から消えると、青年は躊躇いなく枝から離れ、落ちた勢いと少し高い位置にある枝を利用して反動をつけたまま開いた窓から部屋に飛び込んだ。身軽に絨毯の上に着地すると、どうするのかと見守っていた少女が目を輝かせて見ている。
「すごいです! 騎士の方はとても身軽なんです?」
「誰でもとは限りませんが。ところで、お付き合い出来る時間はあと半時ばかりとなりますが」
「あ、はい。わたしもそれぐらいしたら戻らないといけません。このお部屋、使われていないんですけど、一日に一回はお掃除に人が来るんです」
 それがあと半時後くらいなのだと少女は言った。
「それで姫様、お相手するのはワルツで宜しいんですか」
「え?」
「くるくる回っていらしたでしょう、先ほど」
 あの場所からばっちり見えておりましたので、そう今度こそ冗談めかして付け加えた青年に、少女は頬を赤らめた。
「う、その……わたしにはまだ早いと言われてしまっているんですけれど。でも、母様がデビュタントしたのが十四歳の頃と聞いて、わたしも踊れるようになりたかったんです」
「なるほど。足運びはそれなりに覚えているようでも、実際に踊るとなると感覚が掴めない、そういうところですか」
 では僭越ながら、そう言って青年が左手を差し出すと、少女は首を傾げる。
「右手を」
「あ、はい」
 おずおずと乗せられた小さな手を、篭手をはめたままの手で傷つけぬようにやんわりと握ると、およそ顔の位置――とは言っても青年と少女の身長差はかなりのものだったので、少女が辛くない程度の高さではある――まで持ち上げた。
「失礼しますよ」
「え? っ、きゃ」
 右手を少女の背中に添えるようにして体を引き寄せた青年。突然のことに驚いて声を上げようとした少女を遮るように、淡々と次の言葉を紡ぐ。
「右肘に左手を添えて」
「え、え、あの……」
「姫様、ワルツを踊るにはまず相手とホールドの姿勢をとるのですが」
「あ、えと、こう、ですか?」
 そっと肘に左手が置かれると、青年は頷く。
「姿勢はそのまま、目線は上。相手の目を見るように、とは言っても姫様の首が辛いと思いますので、それは来るべき本番できちんと実践してください」
「は、はい!」
 勢い込んで返答され、くつりと笑う青年。少女は慣れない姿勢やら距離やらに思考回路がまだ完全に追いついていないのか、聞こえていないようだった。
「これがホールド。基本は常にこの姿勢を。後は男性側のリードに合わせて決まった順に足運びを繰り返すだけ」
「で、出来る、でしょうか」
「何とかなるもんですよ」
「ふぇっ!?」
 いきなり体を浚われるように動き出した青年に、少女は奇妙な声を上げる。必死に覚えた足運びをしようと試みるものの、順番を考えているうちに青年の足を踏んづけてしまう。
「ご、ごめんなさい……!」
「騎士に支給されている靴は頑丈ですから痛くも痒くもないですよ、というわけで姫様、気にしなくて良いので視線は上げてください」
「え、あ、はい!」
「こういうことがあっても足を止めないように。複数の人間が居るホールで急に止まると、他の人間に迷惑になりますから」
「はい!」
 まるで師匠と弟子だな、と思いながら青年が声に出さずに笑うと、少女が少しむくれたような表情になる。
「なんで笑うんです?」
 兜をかぶっているから表情は見えないはずだ。せいぜい、隙間から目の色が分かるくらいだろうが、それでも見破られるとは思わなかった。青年は今度は短く声を立てて笑い、謝罪した。
「これは失礼を。まるで稽古を受けている生徒のような返事をされましたので」
「それでおかしかったんです? 何か変だったでしょうか」
 本当にこの少女は良い意味で貴族らしからぬ貴族の姫だ。先ほど視線を下げるなと言われた事を忠実に守っているからか、不思議そうな表情が良く見える。
 その間にも青年のリードで広い部屋を端から端までワルツの足運びで移動していたのだが、考え込んでいた少女はそれに気付いていない。下手に足ばかりに気を取られて焦っていたのが嘘のようだ。
「はい、到着」
「はい?」
「途中少し支えましたが、あの窓の近くから此処まで来れたんですし、初めて組んでみたにしては上出来では無いですか」
「全然気が付かなかったです……」
「姫様は下手に足運びを考えない方が良いようですよ。相手のリード次第ですが、よほど下手な相手と組まない限りは問題なく踊れるでしょう」
 一人で練習していた時に上手くいかなかったのは、次に動く足に気を取られ過ぎていたからではないか。そう付け加えると、小首を傾げながら少女はまた不思議そうに青年を見つめた。
 と、その時、開いたままの窓の外で微かに響いた聞きなれ過ぎた声。思わず舌打して唸った。
「ちっ、早過ぎるぜあいつは……」
「あの、どうかしたんです?」
 尋ねた少女だが、彼女もまた扉の外から微かに響いた声に反応してびくりと体を震わせた。
「どうやら、お互いに時間切れのようですね」
「残念です。まだ少ししか経ってないのに」
「少しはお役に立てましたか」
「はい! ありがとうございました」
 にっこりと笑みを浮かべて礼を言った少女に、青年はホールドの姿勢を解くとゆっくりと跪いた。
「え、あの?」
 戸惑う少女をよそに、青年は丁寧な中に冗談めかした言い回しで口上を述べる。
「お相手を頂き恐悦至極に存じます。願わくば、この一時は姫様の御心の内に留め置いてくださいますよう」
「勿論です。また、お会いできたらお相手して頂けますか?」
「本来ならばお声を掛けて頂けるような身ではないのですが……」
 純粋な身分としても、騎士としては正式に位を持たない身としても。
 しかし少女のあからさまに沈んだ表情に、青年は一つ笑ってから恭しくこう答えた。
「姫様の仰せのままに」
 ぱっと嬉しそうな顔になった少女に、立ち上がった青年はぽんと彼女の頭を撫で、そして身軽に窓枠に飛び移るとそのまま宙に身を躍らせた。
 慌てて窓に駆け寄った少女は、木の枝を利用して反動をつけ、宙返りで地面に降り立った青年の姿に安堵の吐息を零し、近付いてきた声の主に気付かれぬうちにと背を伸ばして窓を閉めるのだった。
 そしてようやく思い至るのだ、あの騎士の青年の名を聞いていないこと、自分が名乗っていないことを。
 顔も名前も知らない自分より年上の若い騎士。ただ、騎士の兜の隙間から覗いた瞳の色が、夜明間近の宵闇のような色だったこと、そして兜のせいで篭っていた丁寧だけれど少し皮肉気な……優しい声、それだけが少女に残された青年を示す確かな特徴だった。


「ユーリ!」
「フレン、サボりか?」
「サボりは君の方だろう! 僕は教官の予定が変更になって空き時間になっただけで……。君の方はまだ三回目なのにもう悪い癖か」
 真面目な幼馴染の聞き飽き過ぎた返答に、青年――ユーリは兜に手を掛けて外しながら言った。
「人聞きの悪いこと言うな。自主休講だよ」
「それをサボりと言うんだ」
「へいへい。けどな、あんなの足運びと体捌きと一連の流れさえ覚えちまえばすぐ出来るだろ? 野郎同士で練習するのは一回だけでも充分過ぎるぜ」
 肩を竦めてやれやれと言いながら、軽く頭を振って長い黒髪を風に晒すユーリ。蒸れた首筋に外気が当たるとそれだけで涼しいもんだ、と思いながらふと振り返る。
「見て覚えてすぐ実践出来るのは器用な君らしいけど、僕を含めて他の人間はそう簡単にはいかない。それに、こういうことを通じて周囲の人間との交流も図るのだから。騎士団に女性はそう多くないから男同士での練習も仕方が無いと思って…………、ユーリ、聞いているのか?」
「ん? 要は真面目に出ろって事だろ」
「……そうだ。ところで、今日はあっさりと出てきたけれど、寝てたんじゃなかったのかい?」
 いつもならば今日の倍は掛かってようやく見つかるので、探し始めてそう経たない内に姿を現したユーリに逆に驚いたくらいなのだ。
「いんや。花の精と一緒にワルツの練習をちょっと、な」
「は?」
 皮肉屋な親友の口から出た、とんでもなくリリカルな発言に目を見開いて驚いたフレン。そんな彼を放って置いて、ユーリは遠目に見える閉まった窓を見ていた。
「そういや名前も知らないんだっけか」
 淡いピンクのドレス。そしてそれよりも尚、花のような色の髪。そこに飾られた花の形の髪飾り。自分の言葉では無いようだが、花の精とは言いえて妙かもしれない。
「ま、短かった上に慣れない口調で疲れたが、悪かない時間だったな」
「ユーリ?」
「何でもねぇよ。ところでフレン、説教喰らっといてなんだが、やっぱこのまま自主休講続行するわ」
「このまま、って。ユーリ!!」
 虚を衝いて駆け出したユーリは、建物の影に入り込むとそのまま壁を蹴って身近な木に飛び移り、追いかけてきた親友をやり過ごす。
「まだまだ卵とは言え、未来の淑女の相手をしてきたんだ。野郎の感触で塗りつぶすのはゴメンだぜ」
 あの小さな淑女の相手をする「また」の時はあるのだろうか。
 名前も知らない、貴族らしからぬ貴族の姫のまっすぐ見つめてきた新緑色の瞳を思い出しながら、ユーリは確かにその未来を期待して口元に笑みを浮かべた。


As you wish
いつの日にかまた会うことがあれば、いかようなりとも
騎士って何歳くらいからなれるんだろう、という事で当サイトでは何となく16歳くらいからかな、と。
ユーリの騎士になった年齢と在籍期間が本編ではハッキリしていないのでこの辺りは捏造です。
そして出逢いも捏造。更に見習い期間にこんな事も習ってたら良いなーとそこも騎士に夢見る捏造設定。
ワルツに関しての動作とかはある程度調べてから書いていますが、そこはサラリと読み流してください。
[脱稿:08'9.20 掲載:08'10.1 レイアウト修正:08'10.9]


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