【ED後/「waltz.」設定・未来/ユリエス掌編】
不意に耳慣れない旋律が夢現の彼女の耳に入って来て、それまで深く沈んでいた彼女の意識が浮上した。
これは何の旋律だろう。どこか懐かしくも感じるそれは、エステルが良く知る青年の声で紡がれている。
重たい瞼をゆっくりと持ち上げてみれば、彼女が横たわる寝台のすぐ横に青年の姿があった。闇の中、彼は腕に何かを抱えながら鼻うたを歌っていた。
ゆらり、ゆらりと体を揺らしながら紡がれる旋律。それはまるで、子守歌のようで――。
と、彼女は彼が何をしているのか思い当たり、それまで夢半ばでぼんやりと開いていた瞳を見開き、半身を起こした。
突然起き上がった彼女に気付いたのか、旋律が途切れる。代わりに響いてきたのは低い笑い声。
「怖い夢でも見た?」
「……違います。そうじゃなくて、ごめんなさい、ユーリ」
「何が?」
「だって、あやしてくれていたんですよね」
全く気付きませんでした。
そう小さな声で続けた彼女は、寝台の周囲を見回して溜息を零した。青年が彼女を起こさずに今立っている場所に来るには、寝台を回り込まなければならない。青年は元々気配に敏感ではあるが、それでも今まで気付かずに眠っていた事実にもう一つ溜息が零れる。
「気にすんなって」
「でも」
「いいんだよ。あんた朝も昼も気が休まる暇無いくらい動いてるんだし、夜くらいゆっくり休まねぇとそのうち倒れちまうだろ」
「そんな。ユーリもいっぱい助けてくれてます」
「そう? どうあっても今のこいつの食事は提供してやれないし、その分エステルの方に負担があるだろ。事実、授乳にだって結構体力使うって産婆の婆さんから聞いたし」
答える合間にも腕を揺らすことは止めない青年に、エステルは苦笑を浮かべた。
「当然です。その子のお母さんですから」
「だからって、全部が全部『お母さん』がやんなくても良いんだって。結構泣いたのに起きなかったのが疲れてる証拠だろ。いいからこういう時には遠慮なく頼れって」
「ユーリ……」
「オレはこいつの『お父さん』なんだし、当然なの」
な、と腕の中で眠る小さな存在に笑いかけた彼に、エステルの苦笑が柔らかに解けて微笑へと変わる。
「そう、でした。ごめんなさい、ユーリ」
「お互い様。まだ生まれたばっかだからしばらくは此処に居るけど、もうしばらくしたらどうしたってオレは家を空けるようになるんだし。そうなったらどうあってもあんた一人に任せちまう」
「大丈夫です。その頃には、今よりもっと『お母さん』になってますから」
笑顔で言い切った彼女に、青年はふと笑って片手を伸ばして頭を撫ぜる。髪を梳くようにしながら何度か繰り返した後、先に寝るように促した。
「もう少ししたらオレも寝るから、あんたは先に寝てろ」
「はい。おやすみなさい、ユーリ」
「ん、おやすみ、エステル」
再び寝台に横たわったエステルは、瞼を落としてまだ身の内に留まっていた睡魔の囁きに耳を傾ける。しばらく夢現に漂っていた彼女が、唐突に深淵に誘い込まれたその時、先ほどの旋律が耳に届く。
そう言えばそれは子守歌なのだろうか、次に起きた時に尋ねてみようと思いながらも、抗えぬ囁きに引き寄せられるまま、エステルの意識は眠りの淵に落ちた。
*「35.欠片」の一年後くらいで、「52.手紙」の数年前。