中古パソコン waltz 2.Shall we dance? 【4】



 人ごみを抜けて湖へ向かう脇道に入ったところで二人はどちらからともなく足を止め、息を吐いた。その吐息が重なって響いたことに顔を見合わせて小さく笑うと、エステルは思い出したように言った。
「ユーリ、さっきも言いましたけど、ありがとうございます」
「何度も言わなくていいって」
「いいえ、言わせてください。手間のかかる依頼人で済みません」
「依頼人? ……ああ、そういうこと」
 何故か渋い顔になったユーリに不思議そうに小首を傾げながらも、エステルはスカートの隠しポケットからあるものを取り出した。
「ユーリ、これを」
「……? これ、確か依頼の報酬って……」
「はい。ずっと先延ばしになっていましたけど、今日こそ受け取ってください」
 差し出された手の上にあるものは、初めてマンタイクを訪れた時に彼女が仕事の報酬として渡そうとしたもの。あの時はカロルに差し出されていたそれを、改めて目にしたユーリは、一瞬考えるような顔になって、それから驚いたように目を瞠った。
 そして顔を上げてエステルを見つめる。
「なんです?」
「これ。エステルの、大事なものなんだよな」
「……母の形見の髪飾りです。母は幼い頃に亡くなって、リタくらいの年頃まではお守り代わりに良く身に着けていました。旅に出てからは忘れていました。それくらい、皆と一緒の旅は楽しくて……。でも手元にあると頼ってしまいそうになる。だから」
「……分かった」
 少女の手の平の上からそっと髪飾りを取り上げたユーリは、しかし否定するように続けた。
「でも報酬として受け取るんじゃない。預かっておく」
「ユーリ……?」
「エステルが迷って色々見失った時、必ず必要になる。だからその時まで、な」
「分かりました。お願いします」
 ユーリは頷くと、受け取ったそれを上着の隠しに丁寧に居れ、ごく自然に右手を差し出した。
「もう、すぐそこですよ?」
「中途半端は良くないから」
 ほら、と促されてエステルは再び左手を重ね置く。並び立ってゆっくりと歩き出すと、眼前に見えてきた湖の前に小さな二つの影を見つけた。
 ラピードが小さく吠えると、エステルがユーリを見上げて言う。
「ワン!」
「ユーリ、あの子達……」
「みたいだな」
 湖のすぐ傍で、向き合って何かをしている小さな子供達には見覚えがあった。初めてこの街を訪れた時に、砂漠に入った両親を助ける依頼を受けたアルフとライラの兄妹だ。
「アルフとライラ、だよな?」
「あ、お兄ちゃん、お姉ちゃん、ワンちゃんも!」
「こんばんは。お父さんとお母さんはどうしたんです?」
「お祭だから、屋台でお仕事。ぼくとライラもお手伝いしてたんだけど、少し遊んでおいでって」
「なるほどな。で、何をやってたんだ?」
 ユーリの問いに、ライラがあのね、と答えた。
「ダンスの練習なの!」
「ダンス……?」
「お祭に合わせて来た行商からお父さんが絵本を買ってくれたんだ。その話の中で……」
「騎士様とお姫様がワルツを踊るの! ワルツってこういう音楽で踊るのよね?」
 少し遠いが、確かに聞こえてくる三拍子の音楽。
「はい。いち、に、さん、いち、に、さん。こんな三拍子の曲で踊るんですよ」
 微笑みながらエステルが答えると、兄妹揃って彼女を見上げる。
「お姉ちゃんは知ってる?」
「あまり上手ではないですけど」
「ねぇ、それじゃあぼくに教えてよ。ぼくが踊れるようになって、ライラに教えてあげるから」
「わたしが、ですか? 出来れば良いんですけど、うまく出来るかどうか」
 困ったように笑みながらも、右手を差し出したエステル。アルフの左手を取って、こうしてくださいと言いながらにわか仕込みのホールドをした。
 最初はこちらの足からですよ、と指示をしながらゆっくりと動き出すデコボコな影。当然、リズムに乗るには程遠く、辛うじてダンスをしようとしているのが分かるような、そんな動きだった。
「ユーリ、エステル?」
 少し離れた場所からそれを眺めていたユーリは、聞き覚えのある少年の声に呼ばれて振り向く。そしてその少年の様子に思わず噴き出した。
「はははっ、こりゃまた大漁だな、カロル先生?」
「うん! ユーリとエステルの分もあるよ! もちろんラピードのもね!」
 片手には飴のようなもの、もう片手には香ばしい匂いを漂わせるもの、そして鞄には戦利品を詰めているのか、宿を出た時よりも明らかに大きく膨らんでいた。
「んじゃ後で遠慮なく」
「ワフ!」
「で、なにしてんの、あれは」
 カロルとは違って、細工の施された形の飴を手に現れたリタの視線の先には、小さな少年と何やら戯れているように見えるエステルの姿。
「アルフとライラね。さっき屋台で二人の両親を見かけたわ」
「ぎこちないけど、ワルツってとこ?」
 動きを見ていたレイヴンの呟きに、カロルとリタとジュディスが改めて二人を見て、少し後にそれぞれで納得する。
「あ、皆も来たんですね」
「こんばんは、お兄ちゃんとお姉ちゃん達とおじさん!」
「こんばんは」
 エステルの言葉に気付いた兄妹も笑顔で声を上げ、礼儀正しく挨拶をする。おじさんと呼ばれたレイヴンだけは不満そうだったが、皆は気に留めた様子も無く二人に声を返した。
「エステルはアルフにワルツを教えていたの?」
 ジュディスの問いに、エステルは頷いた。
「はい。ライラが踊ってみたいそうです」
「だからぼくがお姉ちゃんに教えてもらって、あとでライラに教えてあげるんだ」
「それは分かったけど、何でワルツよ」
 リタの問いに答えたのはライラだった。
「あのね、騎士様とお姫様がワルツを踊ったの」
「ライラの読んだ絵本に出てきたそうです」
 エステルの言葉に、頭の後ろで手を組んだレイヴンがふーんと頷きつつ口にする。
「でも嬢ちゃんとアルフ少年が組んで踊るにゃ身長差がありすぎて難しいっしょ。そんなら嬢ちゃんが青年と組んで、手本見せてやった方が分かり易いんでないの?」
「ユーリと、です?」
「見習いの頃に習得させられるっしょ、騎士は。ねぇ、元騎士のユーリ・ローウェル青年」
「へぇ、さすが天を射る矢の幹部様。そういう内部事情にもお詳しいとは」
 口調だけは丁寧に、けれど言い終えて小さく舌打した青年は忌々しげに余計なことをと呟いた。
「え、じゃあユーリ踊れるの?」
「……まあ、それなりには」
「へえ、意外」
「あら、丁度良いわね。おじさまの言うように、お手本、見せてあげたら?」
 ジュディスの言葉に眉根を寄せたユーリだったが、期待するようにじっと見つめる子供達の視線とぶつかり、そしてエステルが両手を組んで見つめているのに気付き、溜息。
「あの、ユーリ……」
「オレももう何年も踊ってないから、手本になるかどうかは保証できないけど」
「ユーリなら大丈夫です!」
「いや、そう断言されてもな。……ま、いっか」
 ユーリは言って、剣をレイヴンに向かって放り投げた。
「うぉっ、と……!? ちょ、青年、危ないじゃない!?」
「カロル先生は両手が塞がってるし、女性にお優しい男がまさか持たないなんて言わないよなぁ? 落とすなよ、おっさん」
 言って、エステルの前に立った彼は、右手を胸の上に置いて礼をしながら左手を差し出した。
「踊っていただけますか?」
「は、はい」
 驚きながら差し出された青年の左手に右手を重ねると、指先をそっと握られ、自分の顔の高さまで持ち上げられる。
 そしてここに来るまで、手をつないでいた時のような強さで手を握られ、するりと背に回された右手によって抱き込まれるような近さまで引き寄せられた。
 決して強引ではない、流れるようなその動作。けれどいつもとどこか違う青年の動きに、エステルの頭の中は一瞬白くなる。
「左手を」
「あ、はい」
 促されて自分の背に回された青年の右腕の肘に左手を添える。
「視線上げて」
 口調こそ違う。
 けれど、まるで。
 そう、まるでいつかのような。
 宵闇色の青年の瞳を見て、彼女がふとそう思った時、僅かの間を置いて遠くから聞こえてくる三拍子の音楽に乗るように体がさらわれた。


「お兄ちゃんとお姉ちゃん……すごいね」
「本物の騎士様とお姫様みたい……!」
 アルフとライラが瞳をきらきらと輝かせてそう言うのもおかしくは無いわね、ジュディスは兄妹の後ろから同じ光景を眺めながら内心で思った。
 祭の喧騒も遠い湖のほとり。遠くから聞こえてくる三拍子の音楽。いつもなら無い祭用の灯りが湖面に淡く光を浮かび上がらせ、濃藍色の空には淡く輝く結界の術式と無数の星と凛々の明星が見て取れる。
 そしてその下には、互いに視線を向けたまま、流れるようにワルツを踊る一組の男女。
「こりゃまた、自分で言っといてなんだけど予想外だわ、おっさん」
「同感。エステルはともかくとして、意外よ、意外すぎ」
 確かにいつも背は伸びていて、颯爽とした様はある青年だけれども、今見ているような優雅さというものとは無縁だと思っていたのに。
「なんかユーリ、少し違う?」
「そうね。ワルツを踊っているのもあるんでしょうけれど、違うわね」
「クゥーン」
 いつも周囲に気を配り敏感な所のある彼は、きっと仲間達が自分達を見て何かを言っていることは気付いていても、自分の腕の中に居る少女により多くの意識を向けているような気がする。
 踊っていただけますか。
 そう腰を折って少女に手を差し出したその時から、視線はずっと彼女に向けたままだった。


 夢見心地というのはこういうことを言うんでしょうか。
 エステルはふわり、ふわりとリードされて位置を変える度に動くスカートの裾に気付きながらも、現実感の無いような気持ちでステップを踏んでいた。
 瞳はずっと上を向いたままだ。
 宵闇色の青年の瞳もまた、ずっと下を向いたまま。
 つながれた手が、背中に回された手が、逃さないというような形で彼女を腕の中に捕らえ、その癖いつでも抜け出せるような柔らかさで囲っているようで。
 けれどそれも終わる時が来た。
 少しの余韻と共に三拍子の音楽は消え、人々のざわめきだけが届くようになり、ゆっくりと動きも止まった。
「すごい、すごかったよお兄ちゃん、お姉ちゃん」
「うん! お話の騎士様とお姫様みたいだった!」
「そっか? じゃ、今度ここに来た時には二人のを見せてもらうからな」
「任せといてよ! あ、もう戻らないと」
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう!」
 手をつないで駆け足で賑やかな往来の方へと消えていった兄妹を見送ってから、ユーリはエステルの背に回していた右手を下ろし、重ねていた左手をやんわりと解いた。
「おつかれ」
「あ、はい。お疲れ様、です」
「やっぱ下手なリードだったな。変な癖、見て覚えなきゃいいが」
「そんなこと……! わたし、まるで雲の上を歩いているような、そんな心地でした」
 ほんのりと頬を上気させているエステルに、青年は小さく笑いながら彼女の頭を軽く叩いた。
「柄じゃないけど、まあ祭の夜だし。これも旅の思い出だな」
「はい。とっても素敵な思い出です。……あの、またいつか踊ってもらえます?」
「そうそう機会があるもんじゃないと思うけど」
「そう、ですけど……」
 少しの間を置いて、一つ笑う気配。
「姫様の仰せのままに」
 恭しい口調で言って、エステルが顔を上げるのを抑えるようにくしゃくしゃと撫でるユーリの手。
 そうして戻るか、と背を向けた彼に、彼女はゆっくりと顔を上げて思い出していた。
 まだ幼かった自分をリードしながらワルツを踊った、あの若い騎士を。
「……ユーリ」
 もしかしたら、そんな思いを抱きつつ、自分を見つめて呼ぶ仲間達の声に彼女は歩み出した。
 またいつかの機会、それが訪れることを心の中で願いながら。


Shall we dance?
またいつかの機会に、その腕で再び柔らかな拘束を、密かに望んで
Back 【3】 / Shall we dance?
これにて「Shall we dance?」は終了です。短編で終わると思っていた最初の自分が馬鹿のように長くなりました。約13900字。総数にして、これまでで最長の短編の二倍を超えてます。見通しの甘さがこれでもかと露呈した作品となりました。でもようやく書きたかった場面を書けてよかったのと同時に、もう少し上手い表現は出てこないのかと唸ってみたり。ラピードがほぼ空気になってしまったのが残念。
エステルの母の形見については、これを書く前に本編のサブイベ見直してますが、創作の為にセリフとかは違ってたりします。ぶっちゃけ確認する前まで、本編中で一度彼女が「これを」と報酬として出そうとしていたことはすっかり忘れてたので、草稿を慌てて修正したり。
次回は第三部のお話になります。より踏み込んだ二人の距離とか、出会いの話とかも絡められたら。そしてこの話を読まれてお分かりかと思われますが、本当に騎士に夢見る捏造設定ですので、なにとぞご了承くださいませ。
[脱稿:08'10.14 掲載:08'10.16]


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