色々落ち着かなかったこともあり日記に出て来られませんでしたが、本人すこぶる元気です。両親も家も大きな被害無く、日常を送っております。ツイッターには顔出してるんですが、そっちは非公開だし、拍手で安否をご心配頂いたコメントがあったので、色々お知らせもあって出て参りました。
前回の日記の後、結局プチの記念パンフレット&アンソロジーの編集やその他準備で怒涛の日々を送っていて更新出来ず……。締切り当日を有給にして、編集担当の仲邑ヒナヤ氏と共に編集&チェックをしつつ夕方に入稿、したのが10日でした。
その後はがっつりと休んで、翌日はまだ終わっていない準備関係で出かける予定だった11日、あと二時間くらいだなーと思ってた所で揺れを感じ……まさかそれがあんなに大きな地震とは。
東北地方太平洋沖地震におかれまして、お亡くなりになられた方とご家族に謹んでお悔やみを申し上げると共に、被災された皆様にお見舞い申し上げます。
一度目、そして二度目、三度目、とデスクに捕まらなければキャスター付きの椅子に座っている体が持っていかれてしまいそうなくらい強い揺れ、そしてその長さ。思わず机の下に潜って、それでも捕まって。収まった後に放送で震度5強と知りましたです。
職場の人がテレビをつけてくれて、震源地が東北地方の方だということ、そして津波が起こったことを知り、それから家族の安否確認をするように言われて携帯電話で連絡をするも繋がらず。会社の固定電話から掛けるのですが、土日以外は日中家に両親が居ないので携帯ということで全然連絡がつかず。リダイヤルを繰り返して、最初の地震から一時間、ようやく父と連絡がつきました。その間にツイッター繋がらないだろうな、と思ってアクセスしたら思いのほかあっさり繋がってビックリ。オフ関係のお知り合いの無事が続々と分かって安心しつつ、父と母にメール送ったり、で母とも三十分後に連絡ついて安堵。
そうすると気になる家の状態。しかし待機命令が出ていて、その中も続く余震で、定時を迎えるも動けず。結局、帰れる人は帰るようにと言われたのが六時近く? しかしJRも私鉄も動かない為、私はその時、動くまで待ってようと待機を続行したのでした。後でその日中に電車が動かないことを知り、悩んで色々ルート検索してみて、8時半に会社を出て徒歩で帰宅の途に着いたのでした。
いやー、職場から自宅までぐーぐる先生の検索では約9キロ。徒歩では約2時間。渋谷までは歩道が広かったので、比較的すいすいと進んで1時間弱、そこでエネルギー切れしてコンビニで一休み、道玄坂上って国道246まで出たら一直線……と思ったら狭い歩道に人が集中して横断歩道で止まることも多くなり疲れも溜まってきて、地元駅まで1時間半くらい掛かって、自宅に着いたのは23時20分でした。まあ、私よりも4時間掛けて歩いて帰宅を果たした母の方が凄いですが。普段、順調に乗り継ぎ出来れば20分強ほどで地元駅に到着する通勤経路をまさか徒歩で帰宅することになるとは思いませんでした……。
食器類はダメかと思ってたら、奇跡的にシンクの中のコップ二つが割れただけで済んだらしいです。その他高い所に置いていた物が落ちたり、私の部屋の積んでいた薄くて高い本が根こそぎ落下してたり、ということはありましたが。
その日は結局、エリアメールとテレビの緊急地震速報の音にビクつきつつ、疲れ果てて居間で寝落ち……翌日は早朝の地震速報と余震で目覚めたのでした。
土日はどこも出かけず、家に篭ってマイソロ3やってました。赤ブーさんの春コミ動向は8割諦めつつ……。
で、14日。通常の半分で運行してる電車に何とか乗って出勤したものの、夕方は計画停電で自宅から渋谷までの路線が運休ということで帰宅しなさいと言われて二時間も経たないうちに帰宅することに。そして昼頃に春コミ開催中止の報を知ったのでした。
余震も多く、計画停電もあり、交通事情も落ち着かない中、開催は諦めモードになってましたが、それでも知った時は脱力したというか。開催を決めてから約8ヶ月、企画に準備に奔走していましたので……。
しかしそのまま全くの中止にしてしまうのは寂しいというか勿体無いと言うか、悶々と考えて、そして数日後に私を含めた主催で話し合ってプチ開催を秋へと延期することになったのでした。
詳しくはこちらをご覧頂くとして、思いの他多くの皆様に喜んで頂けたようで嬉しい限りです。また長く時間を頂きますが、秋に皆様にお会い出来ることを楽しみに気を抜かずに頑張って行きますね。
ところで、急なお話ですが4月3日のテイルズ菜園で既刊を委託させて頂けることになりましたので、取り急ぎお知らせをば。
後ほどインフォ出しますが、せめてSS付きペーパーを作りたいなーと。本人は一般で入ってうろうろしてると思いますw
では、長くなりましたので一端これで。
四月はちょくちょく書くようにしますねー。



