明日の行動予定が決まった後は自由時間となった。
女性陣は離れに併設されている広いバスルームにて、疲れと汚れとを落とすべく連れ立って行き、カロルは夜に祭を見に行くのだと言ってすとんと眠りに落ち、レイヴンは散歩と言って一度出て行った後にずぶ濡れになって戻って着替え直している最中だ。
ラピードもさすがに疲れていたのか、寝台に腰掛けて武器の手入れをしていたユーリの足元に伏せて休んでいたが、レイヴンが慌しく戻ってきた際にはさすがに薄く目を開けた。そしてその姿を見て主共々おおよその事情を察して呆れたように反応を見せる。
「おっさんは本当に期待を裏切らないな」
「ワフゥ」
「リタっちってば容赦なくやってくれちゃって……。あと、あと少しだったのよ……!」
本気で悔しいのか、地団駄を踏みかねない様子に、一人と一匹は呆れに疲れを滲ませて息を吐いた。
「まだマシな方だと思うがな。いつもなら雷撃の剣が続く所が、疲れてんだろ、濡れるだけで済んだんだ」
「濡れるだけじゃなくて、思いっきり打ち上げられたのにぃ?」
濡れる、そして打ち上げる、ああアクアレイザーか。水の戯れではなかったのは、疲れているけれど上級魔術を続いて唱えるほど回復していないから、単発で威力を上げてきたってところだな。
内心で結論を出して納得しつつ、おっさんのぼやきに対してはスルーして、刃の輝きを確かめるように剣を眼前にかざすユーリ。くもりの無いことを確認すると、鞘に納めてベッドサイドに立てかけた。
「そういや青年はどうすんのよ」
「どうするって、何が」
「ほら、宿の主人も言ってたじゃない。今日は祭だって。折角だから嬢ちゃん誘って行けば?」
視線を向ければにやにやとしたいやらしい笑みを浮かべた顔。ユーリは小さく息を吐いてから、寝台に寝転がる。
「どうせなら皆で行きましょう、って言うんじゃないの」
「嬢ちゃんが言う前に青年が誘えば、そんな風に言わないと思うけどね」
「…………」
「って言うか、そうしないとおっさんがジュディスちゃんと二人っきりになる可能性が薄れるのよ」
「元々薄いけどな」
「青年酷い! おっさんの真の魅力で迫ればね、お子様はともかくジュディスちゃんをはじめとした成熟した大人の女性はきっと……!」
意気込んで反論したレイヴンの背後に、恐らく彼が示した「お子様」である彼女がいつの間にか立っていた。ゆらり、魔術を使わないユーリであっても分かる、術式によって波立ち、収束されていくエアルの気配は大きく無いものの、何故かいつも以上に物騒な気配を感じさせている。
「だぁーれーがぁー、お子様だー! ていうかそんなもの一生分かってたまるか、このセクハラ男!!」
今にも術式を紡ぎ上げて魔術を発動させそうなリタに、少女に少し遅れて戻ってきた二人のうち、エステルが慌てて声を上げた。
「リ、リタ、駄目です……! ここは部屋の中ですから、せめて外で……!」
せめてと言いつつ止めていない所に、エステルのどこかずれた天然さをうかがわせる。リタは仕方ないと呟きつつ、恐らくはトラクタービームの応用なのだろう、収束させたエアルでレイヴンを宙に浮かせて外へと強制連行していった。
そして二人が部屋から出て行って数秒後、離れのすぐ裏の方から景気の良い水音と、それに呑まれていく叫び声が上がる。
ジュディスはその二つを微笑と共に聞き流し、寝台に大の字になって眠り続けるカロルに薄い掛布をかけてやりながら言った。
「あれだけ騒いだのにぐっすりね」
「さすがカロル先生、てところか? ……ま、今回はな」
「はい。あれから口にはしていませんけれど、あのナンって女の子はカロルの大切な幼馴染ですし、知っている人と戦ったんです。ここにきて一気に疲れが出ても仕方ないです」
ユーリの言葉にエステルが言い添えると、ジュディスは静かにカロルの頭を撫でてから寝台を離れる。
「折角体を休める時間なのに、放っておいたら倒れる寸前まで止まらなさそうだわ。少し行って来るわね」
既に数回目の水音と掠れた悲鳴が聞こえてきた。
「ああ、取り敢えずお子様の方だけでも回収頼むわ。おっさんはそのまんまでいいぜ」
「ユーリ、それはちょっとレイヴンが可哀相ですよ」
「濡れたまま砂だらけで戻って来られても困るだろ? この気候だ、そう長く掛からないうちに乾くだろうから、放っておくくらいでむしろ丁度良いと思うがね」
「そ、それは……そうかもしれないですけど……」
「うふふ、ユーリの言うことも一理あるわね。それじゃあ、おじさまにはゆっくりしてから戻ってきてもらうように言ってくるわ」
そう言って彼女が出て行くのを見送った直後、新たに聞こえてきた水音と悲鳴。若干声が弱くなってきているのを考えると、ジュディスの判断は絶妙だったと言えよう。
「リタったら、これじゃあお祭に行くどころか、一度横になったら起きられなさそうです。さっきだってお風呂で何回かうとうとしてたのに」
「なに、お子様は回復も早いんだ。少し休めば祭くらい行けるだろうよ。それに、あんたと一緒になら意地でも起きると思うぜ」
「はい?」
「ん?」
「リタはジュディスと一緒に行くみたいです。レイヴンは知りませんけど、カロルもジュディスと約束しているみたいですよ」
その答えに、ユーリは訝しげにエステルを見た。
「エステルは、行かないのか?」
「興味はあるんですけど、正直、いいんでしょうか、そう思ったんです」
俯きがちになって、ぽつり、呟くように答えた少女。ラピードが耳だけをピクリと動かすのが見えた。
笑ってはいたけれど、それでも不安が消え去ったわけではないのだ。むしろ自分のことが前よりも分かってきた今、気にしないわけがない。エステルの気質を考えればそんなこと分かっていたはずだ。
ユーリは膝の上に置いていた手を思わず握り締め、自分の浅慮さに込み上げてきた怒りを鎮めるように息を吐いた。
と。
「ん〜……、ユーリぃ、もうたべられないよ……」
「…………」
「…………」
「エステル……、それ、たべものじゃ……なくて……」
そして幸せそうな顔で言葉になっていない寝言が続いた。意図したわけではないのだろうが、まるでそれに続けたようにラピードがくぁ、と欠伸をする。
思わず少年と犬との間で視線を行き来させ、それが交差した二人は小さく噴出した。
「屋台制覇でもするつもりか、この少年は」
「わたし、何を食べようとしていたんでしょう」
くすくす、くつくつ。眠る少年を起こさぬように、それでも抑えきれないそれぞれの笑い声が部屋に響く。
ようやくそれが治まると、静かで少し冷たかった雰囲気が、静かだが穏やかで柔らかなそれへと変わっていた。それはきっと無意識の成せる業なのだろう、ユーリはカロルへと視線を向けたまま言った。
「祭ではしゃぐ歳ってわけでもないからな。ただ、雰囲気は嫌いじゃないし、湖の方に涼みに行きがてら少し見るのも悪くないと思ってる」
「そう、ですね。良いと思います」
「一緒に行くか?」
「え?」
「涼みにさ」
ほんの一時だけ沈黙と少年の穏やかな寝息がその場を支配した後、問われた少女は小さく頷いた。
「……はい」
「ワウ!」
「ラピードも一緒に、ですね」
当然だとばかりに尻尾をぱたりと振ったラピードに、ユーリとエステルが再び顔を見合わせて笑った直後、まるで見計らったかのように外へ出ていた者たちの足音が近づいてきた。
「ありがとうございます、ユーリ」
「さて、なんのことだか」
小さく肩を竦めてそっぽを向いた青年に、少女は口の中でもう一度短く礼を言いながら微笑を深めた。