そもそもはカプワ・トリムで幸福の市場の社長、カウフマンと会ったことが始まりである。
彼らが移動する時に欠かせないものとなっているフィエルティア号の元オーナーであり、魔導器に頼らない世界をまとめるギルド側の代表の一人である彼女。浅からぬ縁がある一行は、挨拶をする前に捕獲されるように本部へと連れられ、そこで話を聞かされた。
必然のように惹かれあった年下の友人と優秀な部下のことを。将来を共にと誓い合った二人のことを。しかし資産家である友人の父は家の益々の繁栄こそ娘の幸せであると信じて疑わず、夜会という名の見合いパーティを催すことを決定、彼女は万事全て整えられた後にそれを知らされたが、都合も悪く彼女の恋人はギルドの大事な仕事で遠方から戻る最中であるという。
「そこで頼みたいのよ、あなたに」
「……全力で遠慮する」
「まだ何をとも言ってないのに? せめて依頼を聞いてから考えて欲しいんだけれど」
「そうだよユーリ、聞いてみようよ」
カロルの言葉にユーリは首を振る。
「聞かなくたって話の流れから予想出来ちまうんだよ」
「ええと……、カウフマンさんのお友達の家でパーティがあるんですよね? でも婚約者の人はお仕事で……来られないんです?」
「何とか終わるまでに間に合うけれど、お見合いが実際の目的のパーティで主催の娘が一人で居れば、少なくともダンスは断りきれないわね」
「それでこいつに虫除けさせようっていうわけ」
親指で眉根を寄せている青年を示しながら言った少女に、そうよ、とカウフマンは眼鏡を押し上げた。
「基本的にパートナーが居ればそちらが優先で、それを理由に断ることも出来る。だから部下が到着するまでユーリ君には彼女のパートナーとしてエスコートをして欲しいのよね」
「何でオレなんだ。こっちのおっさんにやらせりゃいいだろ」
「え、いいの? おっさんはりきっちゃうわよ」
「あなたじゃ駄目ね」
はりきったレイヴンに対し、カウフマンは一瞥すらせずにすっぱりと言った。張り切っていたレイヴンはと言えば、その一刀両断の如く放たれた言葉にがくんと体勢を崩す。
「天を射る矢の幹部の顔は思った以上に知られているもの。彼女の父親なら間違いなく分かるわね。その点、ユーリ君ならその心配は無いわ」
「そ、そりゃあ確かに凛々の明星はまだまだ知らない人の方が多いと思うけど……」
落ち込んだように呟いたカロルに、カウフマンは少しの苦笑を混ぜながら首を振った。
「その代わり、知る人は知っているわね。私は勿論、ハリーも、戦士の殿堂のナッツも、帝国の次期皇帝陛下も、その右腕の次期騎士団長も。自信を持ちなさい」
「は、はい……」
「話は戻るけれど、顔を知られていないという他にも、見栄えとかね。見合い相手より良い男の方が虫除けとして尚最適でしょう?」
「あんたほどの人ならオレ以外にも当てになりそうな奴は居るだろうよ」
「居ないことは無いわ。でも、エスコートとなるとあなたには負けるわね、きっと。湖の畔でのワルツは素敵だったわよ」
「え。あの、カウフマンさんはあの時マンタイクに居て、見てたんです?」
「偶然にね。商談があったから声は掛けられなかったけれど、遠目に見えたのよ。現役の騎士でも、中々あそこまで踊れる人は居ないんじゃないかしら? だから、あなたを指名しての依頼なの」
言って、微笑を湛えたまま渋面を作るユーリへ視線を向けたカウフマンに、彼と彼女以外の面々がその間で視線を往復させて見守る。
その状態が数秒続いた所でユーリが息を吐いてカロルを見た。
「カロル」
「え?」
「今のオレは凛々の明星に所属してるわけだからな。首領としてはどう思う」
「え、えぇと……」
腕組みをして思案した少年は、少し困ったようにしながら口を開く。
「今は魔導器の魔核を精霊化する為の準備が整うのを待つ状況で、ボク達はその間に戦力を強化する目的で動いてるけど、特別急いでるってワケでもないでしょ? 話を聞くと、そのカウフマンさんのお友達も困ってるみたいだし、ボクもユーリなら出来ると思うし……」
「ジュディは?」
「そうね。恋人が居るのにお見合いなんて女性にとってみればたまったものじゃないと思うわ。それに相手も気分は良くないでしょうね。依頼ということで虫除けになるためなら、二人の気持ちもそれぞれ楽になると思うけれど」
「で、結論は」
「義をもってことを成せ」
「義をもってことを成せ」
カロルとジュディスの二人の声で同時に響いたギルドの掟に、ユーリは諦めたように溜息を吐いて、どうにでもしてくれとばかりにひらひらと右手を振った。
「依頼を受ける前に一つ。ボク達もそのパーティに入り込める?」
「可能だと思うけれど、何故かしら」
「あら、虫除けは多い方がいいでしょう? 事情を知っている人間が周囲に居ればそれだけやり易くなるわ」
「それに凛々の明星の掟だからね。ひとりはギルドのために、ギルドはひとりのために、って」
カウフマンは僅かに思案した後、頷いた。
「いいわ、あなた達もパーティに入り込めるように手配しましょう。さすがに人手が要るってことで臨時の使用人を集めているのよ、ウチの傘下の一つであるギルドからね。そうね……誰かはユーリ君の従者ってことでいいわね、後の皆さんはわたしの手配で潜り込んでもらう。ただし、あなたは別よ」
あなた、と視線を向けられたエステルは目を瞬く。
「あ、あの、どういうことです?」
「友人の父親はダングレストでもかなりの名士だもの。帝国から今の団長代理が来た時にもしっかり接触を計ろうとしていたはず。必然的に彼が一歩下がって対応する人物のことも調べられていたことになる。あなたよ、エステリーゼ・シデス・ヒュラッセイン殿下」
「……間違いじゃないと思うわよ、それ。ギルドは帝国と反目しつつも、やっぱり切り離せない関係だしね。有力な騎士に繋ぎを取ろうとしてもおかしく無いし、その周囲の人間のことだって調べるだろうし。嬢ちゃんのことはまず間違い無く調べられてるわね」
今やユニオンを取り仕切っていると言っても過言では無いカウフマンと、天を射る矢の幹部として動いていたこともあるレイヴンの言葉に、エステルは表情を曇らせた。
「じゃあエステルは?」
「宿で待ってもらうことになるわね。誰が知っているとも限らないもの」
「……わかりました」
「ちょっと、エステル!」
「何日もというわけではないですし、宿でゆっくりしてます。その代わり、リタ、わたしの分まで皆を助けてあげてください。戻って来たら色々教えてくださいね」
にこりと微笑をして言ったエステルに、リタは釈然としないながらも友人の言葉に頷く。
「エステル、大丈夫。ボク達がエステルの分まで頑張るよ!」
「そうね。ユーリが必要以上に頑張らないようにも見張っているわ」
「おいジュディ、何言ってんだ」
「ふふ。宜しくお願いしますね、ジュディス」
「えぇと、コホン。夜空にまたたく凛々の明星の名に賭けて、お仕事お引き受け、します」
青年が文句を言う前に首領がこう宣言し、果たして彼らはカウフマンと共にダングレストへと向かうことになるのだった。
「今頃、パーティなんでしょうね、ラピード」
「ワフ」
カプワ・トリムからダングレストまではあっという間だ。依頼を受けた翌日には出発し、その夕方には到着した一行はダングレストを訪れた際に定宿としているアルクトゥルスに部屋を取った。
主に「虫除け」役を務めるユーリは勿論、その従者役となることとなったカロル、カウフマンの伝手でそれぞれ臨時雇いとしてパーティに潜り込むリタとジュディスとレイヴンたち。彼らはそれぞれに準備で慌しくしており、宿に居残りが決定していたエステルは手伝いたいと思いながらもすることが無いことに複雑な心境で見ているしかなかったのだ。
そして決行当日の今日、彼女は同じく留守番となったラピードと共に広い宿の一室に残っている。
フィエルティアに積み込んでいた本も、リタから預かった魔導書も、カロルが準備の合間に手に入れてきてくれた本も、一通り目を通したというのに少しも内容を覚えていない。
手元でほぼページを捲るだけとなっていた本を静かに閉じた彼女は、ゆっくりと椅子から立ち上がり、窓辺に歩み寄る。既に夜の帳が落ちたダングレストの街並み。濃藍の夜空には一際明るい凛々の明星が瞬き、その周囲に散る星々も美しい。
「静かですね……」
こんなに静かなのはどれくらいぶりだろう、エステルはぼんやりと外を眺めながら考えた。思えば当たり前だった感覚。城に居た時はいつもこうして一人静かに広い部屋で本を読んで過ごしていたというのに。
けれど今の彼女にとっては当たり前ではない。
「こんな時に、考えさせられることになるなんて」
例えば自分が一人の民であったなら、今頃は彼らと同じ場所に居れたのだろうか。けれどそうであったなら、こんなことを考えられる今の自分は無いのだということも彼女はちゃんと分かっていた。
「でも、少しだけ、羨ましいです」
それが依頼であっても、彼にとっては気が進まないことが分かっていても。
青年は今、エステルが知らないカウフマンの友人という彼女のエスコートをしているのだろう。普段の彼とは違う、夜会の出席者として申し分ない正装に身を包んだ彼とワルツを……。
「……ワフ」
「ラピード……」
テーブルの傍で伏せて休んでいた青い毛並みの青年の相棒は、エステルの足元に静かに歩み寄り、再びその場所で伏せて目を閉じた。ぱたりと床を打った長い尾にくすりと笑って、エステルは小さく彼に礼を言う。
と、その時。
ラピードの耳がピンと立ち、緩やかに床に落ちていた尾が緊張したようになり、俊敏な動作で立ち上がり警戒するように低い姿勢を取った。
「ラピード?」
怪訝そうに呼びかけながらも、エステルは仲間の中で一番気配に敏感なラピードを信頼していたので、咄嗟にいつも隠し持っている短剣の位置を確認する。
そして気付いた静かに近づいてくる足音。間違いなくこの部屋を目指している気配。
ぴたり、足音が止まると扉の向こうの気配が動き、静かに二回ノックする音が響いた。