比較サイト エンドマークの向こう側〜終わりから始まる〜―2.時間という隔て



「ありがとう御座いました、若先生」
「お大事になさってくださいね」
 腰を曲げて何度も礼を言う年老いた女性に、ジュードはとんでもないと首を振って声を掛けた。ちょうど良くやってきた母がにこやかに送り出し、その背中が診療室から消えると、彼は手元に残ったカルテに診察内容を素早く記した。
「ジュード、お疲れ様」
「うん。あ、母さん、今の患者さんに出す薬、これまで出してたものを一つ変更したいんだ。最近足がかなり痛むらしくて今までの痛み止めじゃあまり効かなくなっているみたいで。でも、強い物に変えると副作用が心配だから精神緩和の効能もある同程度の別の痛み止めに」
 詳しいことはカルテに記録しておいたから、とそれを差し出しながら言った息子に、母のエリンは素早くそれに目を通して頷いた。
「分かったわ、その通りに」
「……いいの? 父さんに相談しなくても」
 自分の診断には自信を持っているものの、しかしこうもあっさりと頷かれると戸惑うものがある。医師として三年、イル・ファンで研鑽を積んできたものの、相手が母となると少し思うところがあるのも事実で。
「お父さんは往診に行ってるでしょう。患者さんをお待たせするわけにはいかないわ。それに、きっとお父さんが居ても、あなたの診断に口は挟まないと思うわ」
 午前の診療はこれで終了、今のうちに昼食にしておきなさい。そう言って出て行った母に、ジュードは小さく息を吐いた。
 広げた両手を見下ろし、思う。
 かつて旅をしていた時、鉱山の崩落で重症となった患者に対して出した診断に、父は的確な判断だったと告げた。思えばあれが、初めて「子供」ではなく「大人」と認められた時だったのかもしれない。
 ジュードに午前の診療を任せると言って父が往診に出て行ったのも、彼を一人前の医師として不足は無いと判断したからだろう。
 そう言えば、と彼は三年前のことを思い返す。
 ――源霊匣[オリジン]の研究をする、だから父さんの持つエレンピオスの知識を参考に助言が欲しい。
 旅を終え、タリム医学校で無事卒業資格を手に入れ、医師として、研究者として働くことが決定した後にそう手紙に記すと、数日後に故郷から小包が届いた。その中には古い資料と、紙が黄ばんだ数十冊のファイルと共に、父からの手紙が入っていた。
 ――参考になるはずだ。私の知識は二十数年前で止まっており、技術革新の著しいエレンピオスでは古いものになるだろうが、何か聞きたいことがあったなら遠慮なく言いなさい。
 困難なことだと苦言を呈されることもなく、応援すると書いてあるわけでは無いが実質的な応援となるその言葉に、手紙を読んだジュードは酷く驚いた覚えがある。
 三年という時間は決して遅いわけでは無い。二千年という長きに渡り隔てられていた二つの世界が交わり、その双方に少しずつでも新しい認識が広まっていることを考えれば早い方なのだろう。しかし断界殻[シェル]が消え、そのマナが世界に散り、幾分かの猶予は出来たものの、ジュードに止まっている時間は無い。
 けれど、この三年間走り続けて来て、少し立ち止まってみれば思った以上に周りが見えていなかったことに気づいた。
 今回の彼の休暇は火場[イフリタ]の終わり――火霊終節水旬[サンドラ・ヴェル]から地場[ラノーム]の始め――地霊小節火旬[プラン・ルージ]までという長期のものだが、これも彼から望んだわけではなく、タリム医学校付属病院の福利厚生を担当する者から懇願されたからこそのものだ。
 だが、結果として父から直に話を聞く機会が生まれたこと、手伝いをするとは言え、イル・ファンで仕事をしている時よりもずっとゆとりのある時間を得られたことは良いことだったと思う。現に昨日の夜は、これまで悩んでいたことについて幾つか解決への道筋が見えたのだ。
 それから、この季節に合わせたのには理由がある。
 仲間達がこの期間にル・ロンドを訪れることになったからだ。
 エリーゼは学校の創立記念日や連休が重なった休みが出来て、ローエンはイル・ファンでの用事の途中で立ち寄ることになり、エレンピオスとリーゼ・マクシアを行き来しているアルヴィンもリーゼ・マクシアに居るということで、どうせならと予定を合わせることになったのだ。
 そう言えば、とイル・ファン海停でアルヴィンに言われた言葉がジュードの脳裏に響く。
『本当に三年会って無かった、ってか』
 エリーゼとは二年前に、ローエンとはカン・バルクで定期報告の度に、アルヴィンとは不定期だが彼ら以上に顔を合わせていた。
 二年前にエリーゼと会った時、たった一年で随分大人びて見違えたものだ。
 ならばそれがレイアに当てはまらないはずは無いのに。
 風に揺れた髪を抑え、花が咲いたように笑うレイア。
 幼い頃の、三年前の、思い出の中の幾つもの笑顔が浮かんでは消え、そして最後に昨日見たレイアの笑顔が浮かんで消える。
 三年ぶりに会った幼馴染は青年の記憶の中に残る彼女よりも、ずっと――。
「……っ、はぁ……。なんか、おかしいな……」
 軽く頭を振ったジュードは椅子から立つと、首に掛けていた聴診器を取って片付ける。
 途端、空腹を覚えた彼は母の言う通り、今のうちに昼食にするべく診療室を出た。
 受付に居た母に声を掛けると、足を向けたのは宿泊処ロランド。昼食時だからなのか、そこかしこから食欲をそそる良い匂いが漂ってくる。すれ違う住人に挨拶を返しながら目的地に向かうと、ガラリと入り口を開いた。
 一番に気づいた受付の顔見知りがいらっしゃい、と声を掛ける。それに会釈しながら食堂へ視線を向けると、見慣れた後姿があった。アルヴィンが食事をしながら、隣に座ったレイアと楽しげに話をしている。
 何を話しているのか、レイアは照れている様子で、その様子を見たジュードはどこか落ち着かない気分になった。
「おやジュード、いらっしゃい」
「あ、師匠。お邪魔してます」
「昼を食べに来たんだろう? 何呆けてるんだい?」
 護身術の師であるレイアの母ソニアが入口で立ち止まったままのジュードに声を掛け、そして食堂へ視線を向けると、なるほどと楽しそうに言って頷く。
「アルヴィンは仕事のついでに良くル・ロンドにも寄るからね。レイアも普段は良く働いてくれてるし、こういう時には大目に見てるのさ」
「そう、なんですか」
 仕事に戻るから、とソニアがその場を離れると、今度はアルヴィンがジュードに気づいた。片手を上げて青年を隣の空席に呼ぶ。
「ジュード君、ここ、空いてるぜ」
「あ、うん」
「ジュード、お疲れ様〜」
 ひらひらと手を振りながら言ったレイアは、注文は、と尋ねた。
「父さんが往診に出てるから、あまり時間は掛けられないんだ。任せるよ」
「ん〜、了解」
 席を立って厨房の方へ向かったレイアは、父に一言二言何かを告げるとすぐに戻ってきて再びアルヴィンの隣の席に座る。
「お、戻ってきて良いのか?」
「付け合せをお父さんに作ってもらってるから。でね、さっき言ってた子なんだけど……」
 ル・ロンドの友人の話を語るレイアに、アルヴィンが食事をしながら相槌を打つ。
 この三年間のジュードが知らない話。
 最初は興味深く耳を傾けていたが、所々自分の知らない思い出を共有して笑う二人に――主に、ジュードが知らないと分かっているのに話を振ったり意味深に視線を向けてくるアルヴィンに苛立ってきた。
「あはは、そうそう、だよね。でね、その後――」
「レイア。今は休憩じゃないんだよね。仕事は良いの?」
 つい、二人の会話を遮るように出た言葉に、レイアが言葉を噤んで、そしてえへへと苦笑を零す。
「そ、そうだね。アルヴィン君が居る時はお母さんに甘く見てもらって、つい話し込んじゃって。ちょっとお父さん手伝ってくる」
 席を立って小走りで厨房のある奥へと消えたレイアに、それまで黙っていたアルヴィンが小さく溜息を零してから口を開いた。
「あのな、ジュード君。幾らなんでも、言い方があるだろ」
「……ごめん」
 眉間に力が入っているのには自分でも気づいていた。レイアに言った彼自身、あんな言い方は無いだろうと口にした後に思ったのだ。ただそれを指摘されたのがアルヴィンということに、どこか素直になれずに口にする。
 苦笑したような雰囲気に、隣の男の視線から逃れるように顔を背けたジュード。
 そんな膠着した雰囲気を破ったのは、お待たせ、というレイアの声だった。
「はい、召し上がれ」
「……マーボーカレー……」
 食欲をそそる匂いが立つ皿が目の前に置かれると、ジュードはスプーンを手にして一口。
 懐かしいその味に、自然と強張っていた頬が緩んだ。
「……どう?」
「うん、変わらないね。美味しいよ」
「……ホントに?」
「うん」
「ホントにホント?」
「そう言ってるじゃない。どうして?」
 その問いにレイアはトレイを抱え込みながら答えた。
「そのマーボーカレー、わたしが作ったんだ」
「これを、レイアが?」
 皿に盛られたマーボーカレーと、隣に立つ幼馴染と視線を往復させたジュードの驚いた様子に、レイアは嬉しそうに笑う。
「お父さんに教えてもらって、この三年間料理の腕を磨いたんだよ。楽しみにしててね、って手紙に書いたでしょ?」
「この三年、来る度にレイアの料理の実験台にされた俺のお陰でもあるよな、その成長は」
「アルヴィン君、余計なこと言わない! いいじゃん、その分、食事代はサービスしてあげたでしょ」
 もう、と頬を膨らませて言ったレイアは、黙り込んでいるジュードに気づいて、声の調子を落として言った。
「あのね、ジュード。ごめんね」
「え?」
「ほら、さっき。仕事中なのにアルヴィン君と話し込んでたでしょ。真面目にいつも頑張ってるジュードにしてみたら、許せないよね」
「いや、僕も強く言い過ぎたよ。ごめん、レイア」
「気にしないで。それじゃ、わたしお父さんを手伝うから」
 ご飯くらいゆっくり食べてね、と言って厨房へ戻って行く姿を見送るジュードを横目に、アルヴィンは最後の一口を放り込んだ後、ごちそうさん、と言って席を立つ。
「三年、此処に帰って来なかったのはお前さんの選んだことだ。だから、優等生が知らないレイアの時間があるのも当然ってことだな。例えば俺とか、俺以外の奴とかとの」
「……アルヴィン」
「そこで当然だ、って思わずに突っかかってきたのは何でだ、ジュード君?」
 ちゃんと考えておけよ、宿題な。
 そういって、ぽん、と軽く青年の頭を叩いた男は、厨房の方へご馳走さん、と声を投げ掛けながら食堂を後にした。
 残されたジュードは、再びスプーンを手にしてマーボーカレーを口にする。
 食べなれたその味は、けれどそれまでこの宿の主人だけの味で、でも今はその娘である幼馴染もしっかりと味を継いでいた。
「どうして、なのかな……」
 三年、決して短くないその時間。けれど手紙のやり取りをしていたから、そんなに距離を感じては居なかったのに。
 けれど、今はこんなにも感じるのだ、色々なことに対して。
 そして、どうにも不可解な、心の裡に黒い絵の具を落としたかのような感覚。
「何なのかな、一体」
 ぽつり、落とした問いに返る答えは無く、ジュードは小さく溜息を吐いてから幼馴染の作った思い出の味を食べるのだった。


時間という
それはきっと、思っていたよりもずっと深く、大きくて。
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[脱稿:11'10.13 掲載:10'10.14]


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